20年前のこと

36回生  渋谷 繁夫

 我々36回生は昭和36年の卒業であるから、56年3月で卒業後ちょうど20年になる。月日のたつのは早い、がサッカー部時代の想い出は残り、さらにその影響は今もなお続いている。30代、40代を中心としたOBチーム“ペガサス”で今もボールを蹴ることができるのは、何とも楽しい。「やっていてよかった!」とつくづく思う。
 我々36回生が入学する直前の3月、つまり昭和33年3月に湘南高校に火事があった。古い校舎が焼け、部室もなくなった。だから我々がサッカー部に入った一年のときは、着替をする場所がなく、教室やグラウンドの横の段々で衝立を立て、着替をやった。我々一年生がグラウンドに行くと、いつもすでにボールを蹴っていた3年生の早野先輩から、「おそいぞ!」とよく怒鳴られたものである。当時の3年生の先輩は、丸屋(兄)さん、早野さん、番場さん、畠山さん達、二年生の先輩は横山さん、細田さん、近藤さん、中村さん、渡辺さん達であった。
 一年生にとって、先輩は「大きく、偉大に」見える。特に3年生はそうである。キャプテンの貫録をもつ丸屋さん、ファイトの魂のような早野さん、雄牛のようなバイタリティーをもつ番場さん、俊敏で音もなく走ってくる畠山さん等、当時の先輩の特徴を今もありありと想い出すことができる。
 ところで我々36回生のメンバーは、丸屋(弟)(キャプテン、センターフォワード)菊岡(ゴールキーパー)、井上(フルバック)、塩崎(フルバック)、原田(センターハーフ)、関(ライトインナー)、久森(ライトインナー)、私(ライトウィング)の8人であり、途中止めたものに、田中(旧神林)、小川、林、兼子等がいる。当時は2年生、3年生が少なく、我々の年代が多かったので、我々は一年生の時から公式試合に出ることができた。ある時にはメンバーが足らず、9人ないし10人で試合をしなければならない時代があった。いまのようにサッカーが盛んでなかった時代も、ある面でよかったのかもしれない。当時我々を指導して下さった岩渕先生、宮原先生も人数の多い我々の年代に期待をかけていたようである。
 その当時はよく卒業した先輩の方々が指導にいらして下さった。落合先輩、岡田先斐、大内先輩、堺先輩、松本先輩、中川先輩等々。そして「地獄」、「うさぎ飛び」、「かえる飛び」、「インターバル」等、苦しく、なつかしい「しごき」にあった。また合宿のときには、諸先輩から、いろいろ「授業では聞けない話」を夜中まで聞かされ、我々は好奇心が旺盛だから眠ることもできず、翌日の練習のつらいことといったらなかった。そして「男だけが歌う歌」を教わり、それを我々は「声高らかに、明朗に」、あの木造の合宿所で歌ったのである。あの合宿所は、今どうなっているのだろうか? 先輩から後輩へと語り、また歌われた「あの伝統」はいまも続いているのだろうか?
 ともかく、我々が3年生のとき、関東大会準優勝をして、岩渕、宮原両先生に、またいろいろな面で指導して下さった諸先輩に、多少とも恩返しができたことを嬉しく思っている。また、その後の数年間の湘南サッカー部の第何期目かの黄金期の礎を作ったものと、我々はささやかな自負しているのである。
 伝統というものは、あるようでないようで、目に見えないけれども、「確かに」あるということをどうか後輩達も忘れないように。一つの流れはどこまでも続いて、決して終ることがないのである。