最後のコーチとして

27回生 柳川 明信

 終戦の翌21年、旧制中学最後の入学で湘南の楠を仰ぎ以来30有余年、人生のいろいろな節目で、湘南の白いゴールと岩渕さんが心の寄りどころであったし、これからもOB仲間との交流を加え、ますます深いものになって行くものと感じられます。
 入学した年が全国制覇、ガンブチは先輩達と共に遠き神の存在。27年卒業する迄の6年間、前半は名門校の栄光と、後半はその残光をかろうじて維持していたと記憶しています。
 現役時代には全日本クラスの先輩が多く来校、実技指導と旧制高校の美風を私達に吹きこみ、その頂点の岩渕さんからは身をもって示す、心技両面の教えを受け、名門校の誇りと伝統をつちかって来たわけです。
 27年に同期5人と共に卒業。有力OB達は社会人となり、又岩渕さんも遠く東地に在り、日常現役へのコーチ投として「お前残って現役をみよ」とのひとことが、私の大学生活を湘南一辺倒にさせてしまいました。運動部、文化部いずれにも属さず、午前講義、午后湘南のグラウンドの日々。宮原先生が教育大を出られ就任されるまでの間、数少ない部員達と、うまずたゆまず、湘南蹴球部を維持して来ました。
 この間が我が部史のなかでも最も恵まれず寂しい時期ではなかったでしょうか。OBの支援少なく、技量優れた指導者おらず、岩渕さん遠く、わずか大声でどなる私と、部員達の固い結束が支えて来たのではないかと思います。30回岡田、松本他、31回大内、田中他、32回落合、清水他、とは永い年月を経ても一種旧制高校的心情のつながりを感じるのは私の感傷だけでないようです。時にはるばる来校される岩渕さんに、どれ程、励まされたかしれません。
 岩渕さんが戻られ、宮原先生が赴任され、ようやく、伝統と実のある部へと、昔をとり戻してゆき、これが36回を中心とした関東大会での活躍へと発展していったと思います。
 私とこの時期の部員達は、部としての苦しい寂しい間をガンブチを心の支えとし、伝統の灯を守りつづけ、次代へとひきついだのだと考えます。
 社会に出てから大学生活を、ほとんど、エンジョイすることなく過ごしたことが、非常に悔まれた時もありました。しかし反面この間の経験と人とのつながりが、私にとって他に代えがたい財産にもなったわけです。いまでは転勤の多いサラリーマン生活のなかでひとつの故郷となっています。
 53年12月、岡田、松本、大内、牧村君等と一杯のみながらOBチーム発足へと発展、年老いた岩渕さんは非常に喜こばれ、近年低調になったOBの活動のてこ入れにと、旧制用に、準備されていたユニホームを譲られ、「湘南ペガサス」の出発となりました。
 以来2年、大内、松本、両君の努力で、クラブとしての基盤が出来上りました。誰もがそれぞれ、想い出のつながりにある岩渕さんとの糸で結ばれているのです。そして今は亡きガンブチさんに最後の贈り物として、OBチームが結成出来、喜んで頂いたことが一番の供養になったと思っています。
 今後もOB活動の中心として、若手の参加も求め、クラブチームとして発展させ、現役の支援の中核になりえたらと考えます。やはり現役あってのOBですし、懐かしい青春は現役の活動にダブッテみえるものです。そして我々が敬愛するガンブチの願いです。湘南サッカーよ永遠たれ!