サッカー部ができて

3回生  中村 正義

 大正12年4月、東京高等師範学校をご卒業になって、ただちに新設校の湘南中学に就圧された、後藤基胤先生がサッカーの手ほどきをして下さいました。教室でもグラウンドでも、いつもニコニコしながら、私達に接してくださる先生でした。私は、先生のファンになってしまって、同好の友人と球を蹴る仲間づくりをはじめました。蹴球靴はまだ誰も、もっておりません。思い思いの靴で蹴りました。
 後藤先生は、日本選抜軍の一員として、上海に遠征した方でした。たけが低く、こまねずみのように、グラウンドを馳駆なさる姿は、壮観で、今だに目にやきついております。先生は「ぼくは、小さいので、ポケットというニックネームだよ」と言っておられ、僕達は遠慮なく「ポケットー」とおよびしたことでした。
 当時は、横浜二中が強く、横浜三中ができてから、また三中が手ごわい相手でした。県下のリーグ戦に勝つと、東京高等師範学校主催の全国大会に行きました。2回参加した覚えがあります。1回戦に勝って、2回戦までの問に、昼食の時間があり、会場の食堂で盛りそばをおいしく食べたことを思いだします。戦績は、手許に記録をもちあわせませんし、記憶もさだかではありません。しかし吹雪の中で戦った日のことは、強烈な印象として残っております。