続続・中さんのメール通信

2009年6月 江ノ島沖ヨット上から

1

「続、続、中メール&ギャラリー」

2010.1.1
2
「続々・中メール・NO2」2月号
2010.2.1
3
「続々・中メール・NO3」3月号
2010.3.1
4
「続々・中メール・NO4」4月号
2010.4.1
5
「続々・中メール・NO5」5月号
2010.5.1
6
「続々・中メール・NO6」6月号
2010.6.1
7
「続々・中メール・NO7」7月号
2010.7.1
8
「続々・中メール・NO8」8月号
2010.8.1
9
「続々・中メール・NO9」9月号
2010.9.1
10
「続々・中メール・NO10」10月号
2010.10.1
11
「続々・中メール・NO11」11月号
2010.11.1
12
「続々・中メール・NO12」12月号
2010.12.1
13
「続々・中メール・NO13」1月号
2011.1.1
14
「続々・中メール・NO14」2月号
2011.2.1
15
「続々・中メール・NO15」3月号
2011.3.1
16
「続々・中メール・NO16」4月号
2011.4.1
17
「続々・中メール・NO17」5月号
2011.5.1
18 「続々・中メール・NO18」6月号
2011.6.1
19 「続々・中メール・NO19」7月号
2011.7.1
20 「続々・中メール・NO20」8月号
2011.8.1
21 「続々・中メール・NO21」9月号
2011.9.1
22 「続々・中メール・NO22」10月号
2011.10.1
23 「続々・中メール・NO23」11月号 
2011.11.1
24 「続々・中メール・NO24」12月号
2011.12.1

「続々・中メール・NO24」12月号

「人との絆・友人・仲間・教え子・・そして家族」           2011・12・1

 これが最終原稿になるかも知れない「中メール50回・続中メール50回・続々中メール24回」10年間書いてきたが、これで終わりとしたい。私がここまでやってこられたのは、素晴らしい友人、仲間そして良き教え子達、に恵まれていたからであって、これまでのご縁に深く感謝している。

 子供時代(小中学校の仲間)「2期会」二クラスの小、中学校9年間(昭和16年〜25年)の同期の仲間、高校3年間「多磨二会」、大学4年間サッカー部の仲間、教員時代の職場の体育の仲間・・サッカー協会の仲間・・現在のスポーツクラブの仲間・・そして28年間の湘南高校サッカー部の教え子達、何回かクラス担任として接した生徒とのつながり・等を考えたとき何百人になるだろうか?

 そんな人と人との強い絆に支えられて今日の自分があるのだと思う時、77年の人生を振り返ってみた時に、戦争経験がやはり多感な少年時代の大きな記憶として甦ってくる。そしてサッカーと言うスポーツを通して接してきた人間関係が大きな柱となって支えてくれている。そんな感謝の気持ちを込めて今回10年分を、粗末な作品ながら(中メール&水彩画)を一冊の本にまとめる予定なので、皆さんに見ていただけたら本当に嬉しい。

 体力は衰えてきたが、気力はまだまだ衰えていない。幸いに時間は充分にある。最近強く感じているのが、 「心は○く・気は長く 」・・怒らない・急がない・何事も時間をかけてゆっくりと、腹を立てずに、すべて和やかに対応しようと心がけている。時間があると言うことは本当に幸せな事なのだと、しみじみと慌て者のせっかちな性分を反省している。

 そしてもう一つ、これは口には出すまいと思っていたが最後なので書くことにした。それは「素直になろう、正直になろう」とこの年になって思うようになってきた。そして「頑張らない」即ち無理をしないことが、長生きの秘訣だと気がついた。口では長生きしなくてもと言うが、人間生来長生きする事が本能だと思う。

 と言う理由で、締めくくりとしてこれから約半年かけて「中メール&ギャラリー」の記念誌を作り上げ「中メール」の最後とするつもりにしている。又別の形でOB会のHPに登場するかもしれないがその時は又仲良くして欲しい。 「中メール・・ 」と言うものは思い出として残れば私としては本望である。奇しくもこの原稿を書いているのが2011年11月11日・サッカーに関係のあるイレブンデーなので忘れないだろう。

最後になりますが来年の賀状を失礼しますのでこの紙面を借りて

「新年のご挨拶とさせていただきます」

 多くの方々の協力を得てここまでこられた事に心から厚く御礼申し上げます。

2011年・11月・11日・良いお年をお迎え下さい。    鈴木 中

添付作品

「三塔物語」(最初と最後の作品である)

1・キングの塔(神奈川県庁)

(2008・1・30横浜市の展覧会にて優秀賞受賞)

2・ジャックの塔(開港記念会館)

3・クイーンの塔(横浜税関・三塔物語完成)

(2011・11・3・76歳誕生日横浜にて)

「続々・中メール・NO23」11月号         

                サッカーは子供を大人にする                 2011・11・1

 表題の言葉はクラマー語録の最初の言葉である「サッカーは子供を大人にする・大人を紳士にする」随分と聞かされた言葉である。この言葉がこの秋に強く心に響いたのは何故だろう。湘南の生徒が頑張り、選手権の予選で素晴らしい結果を残した事が直接の原因かもしれない。ベスト16で破れたが3年生は胸を張って卒業して欲しい。

 大会開催中の試合に校門を訪れた時、生徒達が整然と大会を運営している姿を見たとき・・生徒達が私に対して挨拶をしてくれたとき、グランドの周りを清掃している生徒達の姿を見たとき・校内がきれいになったと感じたとき・彼らが素晴らしいサッカーマンに育ってきたと感じたとき・・表題の言葉が真実だと強く感じた。・・

 聞くところによると、3年生が全員(18名)最後まで活動したと聞いている。夏の合宿、9、10月の練習、体育祭を返上して試合に直接出ないBC、チームの生徒達も黙々とレギュュラー選手と一緒に練習に励んできた事については色々批判も苦情もあろうかと思うが私は高く評価したいし「ありがとう、ご苦労さん、決して後悔しないよ」と言葉をかけたい。

 そしてもう一つ報告したいことは、数十人、いや数百人のOBと保護者、校長、教頭先生他湘南関係者の応援があり、会場で皆さんにお会いしても気づかずに失礼してしまったこともあったと思う。この紙面を借りてお詫びと御礼を申し上げたい。今年は敗れたが又来年がある。必ず次はもう少し上を狙えるチームになると思う。期待したい。

 今や日本のサッカー界はプロ趣向で、Jユースの選手が脚光を浴びているがそれはそれで良いことだと思うが、湘南のような進学校が正統派のサッカーをやるのも大事な事であろう。だから毎年正月の高校選手権大会に何万と言う観衆が集まり応援する光景が見られ、歴史と伝統の大会が人気のある理由だろう。しかし現実はJユースの選手が技術的には上だという事は歪めない事実であろう。

 話は変るが11月に「45回生の還暦の会」を計画している。毎年「還暦の会」を計画しているが、そのうち「古希の会」「傘寿の会」「卒寿の会」「白寿の会」が出来てくるかもしれない。60歳はどうやら未だ青年の領域になるようだ。私は来年「喜寿」を迎えるが今や高齢化社会を迎え「老人」と言うのは80歳以上になるのかも知れない、凄い事だ。

 ところで2014年「W杯・ブラジル大会」に“中さん、また ツ ア ーを計画しませんか”と言う声がある。私も冥土の土産に良かろうと思っている。旅行業者やブラジル関係者,ETC,がOBにいるので又計画予定である。この計画に乗る人は早めに連絡を下さい。「中さんブラジルW杯・観戦ツアー」に乗りませんか?

 あまり自分のスポーツについてサッカー以外に自慢になるものがないので語る資格がないが、今やっているのが水泳とゴルフである。流石にスキーは諦めた。週4日水泳をやっているがバタ足の運動が大腿の筋肉強化に良いと聞いている。特に脳の活性化に効果ありと何処かの学会で発表されたと聞き、毎回300mは取り入れている。1回7〜800m泳ぐのが、快眠、快飲、快便、快・・になっている。

 ついでに下手なゴルフについて少し語ると、75歳を過ぎて飛ばなくなってきてからは諦めて、ドライバー190ヤード、スプーン160ヤード、 ク ゙ リ ー ン周り正確に3オン、パター2回 パー4を5打・ボギーで努力をしてハーフ45〜48で上がる事に専念し100叩きをしない楽しい1日を目標にしている。(ゴルフをやらない方は判らないかも知れないが、結構大変な事なのだ)

 人間誰でも老化して力は落ちてくる。若い人たちに勝とうなどと思わず仲間入りできればよしとして、迷惑かけなければ結構なこと。何とか仲良く遊んでもらえれば「オンの字」と思い、足手まといにならないように気を遣うようになれば、悟りの道が開けてくるかもしれない。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・

「今月の作品」

1、三ツ沢競技場への道(何時の日か本大会へ)

2、大雄山・最乗寺山門・(奥の院へ続く山道が・希望の道に見える)

「続々・中メール・NO22」

これからの日本サッカー                2011・10・1

最初に湘南の現役の「全国大会二次予選について」の感想から入りたい。試合結果と内容については既にHP(神奈川県高校サッカー)そしてOBの関君が報告しているのでそちらに任せるが、順当にベスト16まで勝ち上がったのでこれからが勝負、県の代表権獲得までには本当に厳しい戦いになると思う。

特筆される事は、応援席での保護者・現役・OB・野球部員他関係者の応援風景が変ってきた。それは素晴らしい応援体制?と言えるのか、ものすごい数の応援団と言うのか、今までには見られなかった光景である。このことの良し悪しは別にして、これからは益々この風潮はエスカレートして行くのであろう。

7,8月の練習、合宿、試合を通して心配していたことが未だに改善されていないのが少し気になっている。それはポジション、戦術、フィジカル、等準備段階での内容は充分すぎるくらい出来ていたと思うが、サッカーの一番大事な最後の詰めが完全でなかった様に思えてならない。非常に単純な事だが、これから述べる日本サッカーの育成の部分で問題視されている事と同じであろう。

先日神奈川県サッカー協会技術委員会で「三村恪一氏」の講演があった。そこで何時も氏と私の間に出てくる日本サッカーの課題が語られたが、その中の幾つかを紹介したい。今年はなでしこの活躍があり、このことについては文句なしに褒めてられると思うが、男子でも「小さい選手の俊敏さ」が利点になってこなければ世界には通じないと言う話が出た。

世界のトップリーグのシーズンが始まりTVで放映され、睡眠不足の毎日であるが、セリエAでの「長友」の活躍を見ると、彼のプレーが充分に通用している事が分かる。サムライブルーに通じる日本人の勤勉さ、理解力の高さ、即ち「インテリジェンス」のサッカーがこれからも必要になってくるだろう。プレミヤ・リーグやブンデス・リーグに活躍する選手がこれからも増えてくると思う。

今求められるのは新しいことより古くから言われてきた当たり前のことをもう一度考えようということだ。即ち、古き教えに耳を傾けよう。技術の習得は単純な事のくり返し、即ち「百万遍」であり、また「無理な体勢でのプレー、キック」、が勝敗を決めると言う100年も前から言われてきたことだ。東北大震災に残された「古い石碑」にこれより下に家を建てるなと記されているそうだが、先人の教えは大事にしたい。

他にも多くのことが語られたが、氏は1950年代の日本代表の最初の4バックの中心を守ってきた名選手だった、彼のサッカーの基本は「守備力」であり、それは相手選手との位置取り、体の使い方、肩の入れ方、であり、クラマーさんが言ってきた「武士道」のサッカーだった。剛毅朴訥は仁、シャイで照れ屋の傘寿を迎えた「恪さん」と後10年サッカー談義をしたいと思っている。

そして今は亡き元日本サッカー協会会長の長沼健さんが、“中さん”湘南五中(都立小石川高校・岡野さん母校)、八中(都立小山台高校・恪さん母校)広島付属(健さん母校)が又勝つような時代が来るよ、そうならなければ日本のサッカーは駄目だよ「歴史は繰り返す」とよく言っていた。これからも諦めずそのことを思い出しながら湘南の現役を応援して行きたい。

添付写真・作品

1、東京 オ リ ン ヒ ゚ ッ ク・1964年サッカープログラム

2、今年度高校選手権大会県予選のプログラム

3、樹齢・・百年、校門の楠木(F4・水彩画)

「続々・中メール・NO21」9月号   

夏休みの報告                     2011・9・1

現役の夏休みの活動報告をしよう。8月の報告の前半は湘南フェスティバルの試合が組まれて,Aチームは、対防衛大学戦4−0,5−0、の楽勝だったが、東京の早稲田実業高校に1−2で破れた。この試合は久し振りに対戦するキック&ラッシュの早稲田戦法に力負けした試合だった。今後の参考になる良いゲームだった。

そして私の母校豊多摩高校との試合は少し力の差のある相手だったがAが5−0,Bが2−0だったがそれなりに戦えてほっとした。今後も機会があれば練習試合をやりたいと思う。出来ればOBも試合が出来ればGOODだろう。相手も少し力がついてきたので是非と言う気持ちがあるようなので今後も続けたいと思う。

中旬、12〜15日は茨城県波崎での全体合宿、総勢85人の夏合宿は壮観だった。私も全て付き合ったがそれはすごいエネルギーだった。銚子の対岸になる利根川の河口にある、民宿「ミンション・山崎」に全員が宿泊、実り多い合宿だった。(OB・相羽、山田仁、伊通君)も陣中見舞いに、また保護者(二人・差し入れ)も激励してくれた。

この夏一番の暑いお盆の時期の夏合宿は一寸年寄りには厳しかったが、生徒達もかなり体力的に厳しい練習内容だった。特に試合A・4−1勝ち(東京学館浦安)持久走あり、トレーニング、ミニゲーム、そしてプロの指導者による(フィジカルトレーニング)等盛り沢山の練習メニューで帰りは約4kmのランで、苦しい、夏合宿だった。只昔と違うのは常に水分補給をしながらの練習で、 マ ネ ー シ ゙ ャ ー二人がフル回転、お陰で熱中症等の事故は無かった。

そして後半Aチームは大学の胸を借りる仕上げの練習試合が行われた。20日対東京大学C・4−0勝ち・21日対ベルマーレユースB・1−0の勝ち(プロの予備軍か?一寸寂しい・・疑問を感じた)22日対慶応大学B・C1−1・24日対神奈川大学B1−3力負けした。尚午前中に鎌倉高校とA0−0、B2-0勝ち,C3-1勝ちの結果だった・・・

各大学ともそれなりに対応できる相手を当てて頂き皆ベストの力で対応してもらい実り多い練習試合を組み成果があったと手ごたえを感じた(感謝したい)。

久し振りに慶応大学との試合を一緒に観戦した、OB40回生山田仁君(教育大卒・関東大学リーグ優勝・得点王・大学選手権優勝2回)が盛んに選手の動きを見て・連動した動きを頭の中で(絵の描ける選手がいない)と嘆いていた。又上手くなったが強い選手が少ない・・上手い選手が勝てるとはいえない・・コパアメリカのウルグアイの古典的でしたたかなサッカーを褒めていた。現役選手は理解できるかな?

何十年振りかで訪れた思い出のグランドが懐かしかった。防衛大学Gは若き日25歳〜28歳、防衛大学でサッカーの選択授業を教えた記憶が甦った。又東京大学の御殿下Gが今や人工芝に変り時代の流れを強く感じた。昭和32年の大学選手権大会の決勝で今は亡き八重樫選手の早稲田を2−1破り、優勝した思い出の泥んこのグランドだった。

そして嬉しかったのは、東京大学に(昨年卒業OB・榊原君)慶応大学に(1昨年卒業OB・山田君)共にBチームが居て、色々面倒を見てくれた。昔は早稲田、慶応、教育大、に多くの卒業生が活躍していた時代があった。歴史は繰り返す又古豪と言われた名門大学で活躍する選手が出てくることを期待して現役を応援していきたい。

選手権大会二次予選の組み合わせも決まり9月18日に向けてきめ細かな計画も出来上がった。前回惜敗した全国制覇の対桐蔭高校とのゲームを思い出し自分たちでもできると言う自信を持てば道は開けると思う。未だポジシ ヨ ンが定着せずこの1 ケ月でどう決まるか興味を持って見ているが交代選手が目の色を変えて練習する姿を期待したい。二つ目3つ目の動きで 「絵の描ける動き 」を習得して3年生は卒業して欲しい。

この夏(7,8月)の総括だが次の大会に向けて、部員85人の目標もしっかりして、きめ細かな練習計画に沿って非常に高いモラルのある2ヶ月だった。私も何か誘発されて全てお付き合いしたが本当に楽しかった。只監督の小林先生には負担が多すぎるように感じたが、今後OB会がどう対応するのが良いのか検討事項だろう。(宜しく頼みたい)

「作品」

「写真・神栖市が誇る風力発電の風車の見える芝生グランドの練習風景(85人)」

「写真・東京大学御殿下グランド」

「冬の大会のプログラムの背景・赤木園・新校舎の作品・F4」

「続々・中メール・NO20」8月号

 世界の中の日本                   2011・8・1

 7月は世界中でサッカー大会が開催された。歴史ある「コパアメリカ大会」南米のこの大会は素晴らしい大会だった。日本が招待されながら出場を辞退したのは本当にもったいない残念なことだった。一方女子の世界選手権大会で「なでしこ」の優勝は快挙と言えるだろう。あまり恵まれない環境で女子サッカーが世界を制したことは、これからの女子スポーツの発展の為に非常に良い結果を残したと言う大金星であった。そして男子U―17の世界選手権大会はブラジルに2-3で惜敗したが賞賛できる結果だった。

 女子がドイツを破り準決勝へ進み、スウェーデンに勝ち決勝戦でアメリカに延長2-2からPK戦に勝っての金メタルは、素晴らしい結果であり高く評価できるだろう。沢選手を中心に全ての選手が大活躍した功績を素直に評価したい。そしてこの中に9名もの神奈川県関係の選手がいたという事実を、ゆっくりと掘り下げてその実績を検討してみたい。さらに女子の「なでしこ・リーグ」が国内で人気が出ない理由は何か真剣に探ってみたい。

そして男子サッカーが次のブラジルW杯にどのくらい活躍できるか私は不安を持ちながらも期待をしている一人である。なんと言ってもコパアメリカのこの大会が全試合日本でTV放映されたのは、私にとっては大収穫だった。日本代表がコスタリカに変更したが、日本のA代表が出場して世界に実力を見せる事が出来なかったのは誠に残念だったが、もし出場していたらと想像するだけで今回は我慢することにしよう。

 大会の結果はマスコミに任せ、私は感想を少し書きたい。今まで技術の「基本のキ」は、1、ボールに寄る、2、正確に止める、3、正確に蹴るが、今や世界のサッカーの「基本のキ」それらは当たり前でプラス1、クサビのパスの処理の仕方、2、ディフェンダーのボールの奪い方と攻撃参加、など対敵動作の技術が「基本」の枠に入ってきている。

 最終的には準決勝がペルーーウルグアイ、ベネゼ エラーパラグアイ、決勝はウルグアイ3-0パラグアイになり、したたかなウルグアイの15回目の優勝は流石だった。強靭な体力と「連携・連動」でスピードの中でのパスプレイ、それを守る守備の厚さは見ていて本当に楽しいサッカーであり高校生でも全て真似の出来る勉強になるサッカーだった。

さて現役の今後の計画だが、7,8,9、月の予定表を見ると、7月末は菅平合宿(1,2年生)が行われた。力のある一年生がいると聞いたので、涼しい菅平まで同行した。来春ヨーロッパに行く彼らを理解するのも目的に菅平で3泊4日に参加して色々孫のような湘南生を観察できたのは大きな収穫だった。(この間Aチームは学校内練習と大学受験学習)

この菅平合宿は 「第14回・ハイスクールカップ 」への参加で、カテゴリー1,2,3,のブロックに分かれて「カップ戦」で湘南はA,B,C、で参加して、全員が1日2〜3ゲームを消化し、勝負に対する厳しさを味わえる貴重な経験だった。豪雨、落雷,等で少し変更はあったが涼しい環境の中で、食事、睡眠、も充分にとれ実りある合宿だった。

8月は練習試合(10日・都立豊多摩高校他)、12日〜15日(茨城波崎・3学年合同合宿)

練習試合、その後仕上げで(東大、慶応大、東海大、神奈川大・ベルマーレ)と試合予定、

9月は芝生練習(新横浜G、本蓼川G)9月18日から選手権二次予選となっている。(私の母校豊多摩高校がぜひ胸を借りたいと言う事で計画に入れてもらい楽しみしている。)

 このように80数名の選手達の練習を計画し実施してゆく為に、4 ク ゙ ル ー フ ゚位が常に行動している訳で、あちこちで試合も行われている。一番大変なのは顧問の小林先生だが、それを理解して付いて行く生徒達、そしてその計画を全て運営する為には複数の指導者と、サポートする若手OBの協力が必要になるが、幸い何人か協力者がいるのでその辺の費用をOB会で協力できるよう、この紙面を借りて私から強くお願いしたいと思う。

「作品」

1、「写真」7月24〜27日・菅平1・2年生、A,B,Cに別れ芝生のグランドで合宿風景

2、菅平合宿サッカー場(スケッチ)(F4)

「続々・中メール・NO19」7月号

 総体予選                      2011・7・1

 最初に現役の報告からしたい。6月12日総体二次予選対日大藤沢戦の報告である。結果は延長0-0のPK戦5-3で勝利を収め、ベスト16になったのは見事であった。多くの学校関係者(校長他父母多数)とOB、41回・相羽、45回、浅倉、48回・関君他若手OB多数の応援をいただき有り難う御座いました。(次の大会のシード権を獲得しました)

そして次の試合対桐蔭高校戦は胸を借りるつもりで臨み結果は0ー1で破れはしたが、内容は良かったと思う。只決して敗れて褒める事はしたくない。負け惜しみでなくここまで来たのは一つの目標であったので、この結果については高く評価してよいと思う。神奈川県の第1代表が座間高、第2が桐蔭高、になり湘南の可能性も出てきたと思っている。

「48回・関君」が詳細にわたって試合報告をしているので、私は感想だけを書きたい。

予想は相手の力が上だということだったらしいが、私は高校生の力の差などはあまり問題にしていない。確かに上手、下手はあるかもしれないが、一点を争うゲームでは動きの量と質が第一、次に闘志が相手より上まるかどうか気持ちの問題が大きいと思う。今年の3年生の不足している部分だと思っている。この夏どのくらい改善されるか期待したい。

二次予選からの組み合わせになるので3ヶ月の強化期間がある。あくまでも冬の選手権大会の代表を勝ち取ると言う高い目標に向かって今後どのようにチーム作りをするか、選手がどう対応するか期待して応援したい。そして後に続く新1年・2年生が高い理念を持って練習に臨む事が「湘南サッカー」の力をアピールする事だと思う。このHPを現役諸君も読んでいるらしいので是非力を出して欲しいと願って書いている。

次に 「私の湘南高校半世紀 」(サッカー人生)(自分史)について、少し説明したい。

「中メール・続中メール・続々中メール」を・45回生の浅倉君の協力でOB会のHPに掲載して10年が過ぎた。また趣味で描き出した「水彩画」も約10年正式に記録した作品も約500点に達した。色々の節目を迎え湘南に赴任して50年、来年はいよいよ 「喜寿 」77歳になる。そこで何か「自分史」的なものを一年かけてまとめてみたいと思っている。

「中メール」と 「水彩画 」を一つにする手法を使って「自分史」的なものを一冊の本にまとめて見ようと思っている。プロの画家でもなく、プロのもの書きでもない私が思いつきだけで書くのは、無謀と言うものでまして何も判らぬ老人が一人で粋がっても無理な話だと解かってはいるが・・・

この話をある酒席でOBに相談したところ、「書くのは恥ばかりだが、サッカーの指導は日本一を自認する、プロ」だと思っている。と言う事で内容はあくまでも、77年の節目を迎えた「サッカーのプロの指導者」がまとめたものであり、それは古い理論かもしれないが誰よりも日本の教育の原点にたった、日夜苦労をしながら実践を通して湘南での経験から生まれた、味のある内容にしたいと思いながら、書くつもりなのでご理解願いたい。

 内容は多岐に渡るが大きく分けると 「サッカーの技術指導に関すること 」「ワールドカップに関すること」「日本サッカーの批判」 「日本サッカー協会の組織のあり方 」「湘南高校現役の状況」「湘南高校スペイン遠征報告」 「海外のサッカー事情 」 「湘南高校サッカー部OBの活躍 」「私の生き方」「健康について」「老後の問題」「その他」「中メール」120回分の中から、何回かを選出、作品約50点を掲載予定である。

 さて私事はこのくらいにして 「湘南のサッカー部 」も間もなく100周年を迎えることになる。OB会もそろそろ若返りを図る時期が来ているように思う。私を中心に動いているのも後10年くらいだろう。現会長・37回・牧村、副会長・39回・小泉・41回・相羽君の後に続く人材をそろそろ準備しなければならない。50回〜70回のOB中心の会が今後どのように発展してゆくのか楽しみにしている。

「作品」

1、 対桐蔭高戦前のベンチ風景(写真)(よみうりランド・サッカー場) 

2、大船観音像 昭和35年、現在の像が完成。(昭和36年、私は湘南に赴任した)

3、 OBから送られた「50年・記念の花」・あまり描いたことのない作品である。

「続々・中メール・NO18」6月号

シーズン開幕                    2011・6・1

 2011シーズンは大震災の関係で5月の連休から開幕、各地で熱戦が繰り広げられた。

Jリーグもアマチュアのリーグ戦も始まった。プロ リ ー ク ゙はマスコミが大きく取り上げ見聞きする機会も多く、特に今回は東北のチームが期待されているので、仙台の2連勝は観ていて気持ちがよく、楽しいシーズンの幕開けとなった。

 私が直接代表者として関係している 「神奈川教員クラブ 」と言うチームは、今シーズンから関東社会人リーグの一部で開幕を迎えた。若い選手で県内の高校から大学へ進み、卒業後、教員として活躍している人、非常勤講師などで準備中の人が中心で構成される活気のある元気なチームで5月は2勝2敗で予想以上の結果を残した。

 また関東大学リーグ戦の一部も平塚で伝統の一戦「早稲田大1 ー0中央大」で開幕した。私はこの大学の試合を楽しみにしている。明治大学からインテルに行った長友を代表として、これからは関東の大学から世界に羽ばたく選手が増えてくるような予感がする。12チーム2回戦総当りで実力も互角の様子なので、1年間が楽しみなリーグ戦である

私は現役時代から仕事としていたのが、組織の上からアマチュアのサッカーが担当であった。神奈川県アマチュアの下部組織は県のリーグ戦がありその上にあるのが、関東リーグになり、多くのチームが所属している為、神奈川県で開催される試合が多くなっている。保土ヶ谷、三ツ沢、平塚、馬入、綾瀬、体育 セ ン タ ー、等が試合会場に使われている。

 そして一番興味があるのが高校生の試合である、それぞれ学校の会場が多く使われているが、湘南、桐高、桐蔭、日藤、湘南学院、代表決定の準決勝、決勝は、川崎、平塚、三ツ沢、が使われ、芝生のグランド、人工芝のグランド、への対応も必要になってきている。関東大会予選最終日も川崎等々力グランドで行われ、相工、厚木北、が代表になった。

 さらに6月12日から総体の2次予選が始まる、湘南は対日藤戦が組まれ内容の濃い試合を予想している。おとなしい3年生がどうなるか期待しているが、最後に爆発して予想以上の力を出して欲しいと思っている。これからどうなるか選手権の二次予選に向けて、もう一枚皮が剥けるか楽しみにしている。強い相手に打ち勝つ迫力が欲しいものだ。

 一方今年の新1年生はかなり力のある選手がいるのでこちらも楽しみにしている。5人ほど技術的にも通用する選手がいるので夏にはレギュラーに入る選手が出てくるのではないかと、期待してみている。体格面でも優れた選手が多く、声も出せる元気があり、冬の「選手権予選」に間に合う選手が現れるのではないかと、秘かに楽しみに眺めている。

 薫風かおる5月はサッカー観戦も楽しみだが、新緑の景色は何処へ行っても気持ちよくスケッチの出来るシーズンである。大学リーグを観戦がてら平塚で見慣れた八幡宮の鳥居の前で、鯉のぼりが泳いでいる景色が絵になる。日頃あまり気にしていなかった、八幡様の裏の「横浜ゴム・記念館」も色彩鮮やかで描きたくなる建物だった。

 又久し振りに来た綾瀬のグランドも落ち着いて眺めると「絵」になる景色だ。関東社会人リーグ戦も神奈川教員クラブが活発に活躍しているので、応援に来るのも楽しみである。全国に 「教員 」チームで活動しているのはこのチームぐらいで過去には沢山あったが今では珍しくなってしまったが、これは大変大事な事なので何とか頑張らせたいと思っている。

 さてJリーグも前半戦を見た限り今年は「F・マリノス」が良いようだ。木村和司監督が慣れてきて、ベテランの中沢、中村、が中心で引っ張り、点の取れる、小野、渡辺、その他力のある選手がいるので、今年はやれそうだと思っている。別に何処が勝っても関係ないが地元の関係で是非最後まで息切れしないで欲しいと願っている。

 終わりに今月も古いOBの集まりがあった。会長牧村君の代3年生・37回生(2名)、私の湘南高校最初の赴任(25歳)の教え子である、丁度今年で満50年になる。その時のメンバーが2年生・38回生・長谷川(6名)、1年生39回生・小泉(6名)が集まり、楽しい一夜を過ごした。70歳に近い老人が高校時代の話に目を輝かせて話をしていた。

 ちなみにこのメンバーで1962年第42回全国高校選手権大会(西ノ宮)国体(秋田県)63年(岡山県)の大会に神奈川県代表として出場した。懐かしい50年前の話で盛り上がった。今から考えると旧式なキック&ラッシュのサッカーの世界に、当時では新しい「パスをつなぐサッカー」で神奈川県を制したインパクトの強い思い出話ばかりであった。

 只メンバーの中で38回(山本清二君)・39回(鈴木俊邦君)の二人が既に病気で鬼籍にはいられたという報告があり、会に先たち黙祷を捧げご冥福を祈った。年々教え子が先立って逝く話を聞くにつけ、寂しくなる事が多くなるこの頃である・・・合掌

「作品」

1、平塚八幡宮・5月5日・鯉のぼり

2、平塚横浜ゴム記念館

「写真 」

37・38・39・回生の集まり(5月28日・横浜スカイビル・酔心)

 37回・牧村・小林・38回・長谷川・藁品・団井・香川・荒井・山崎

 39回・小泉・小杉・飯田・新田・山宮・岡本

「続々・中メール・NO17」5月号

    八千代遠征                      2011・5・1

 春休みに生徒の千葉遠征へ、老骨に鞭打って出かけた。ビジネスホテルでの3日間、久し振りのサッカー漬けの生活に、非常に体調も良く、これなら現役の海外遠征に、もう一度ついて行けそうだと自信を深めた「八千代フェスティバル」の遠征だった。そして現地の関係者、元校長青木先生他皆様が大変よくしてくれて、感謝感激の毎日であった。

 結果は最初のブロックリーグ戦で、全国レベルの「八千代4−4」「大阪桐蔭2−2」「鹿島0−0」「宇都宮柏陽1−1」の4試合引き分けで、手ごたえを感じて、最終日に柏の人工芝のグランドで群馬の真岡高校に3−0で完敗の試合は悔しい敗戦であった。前半はまったく相手の速いペースについてゆく事ができず、パニック状態で3点を取られ後半にやっと慣れてきたところでタイムアップの完敗だった。

只この貴重な敗戦から多くのことを学ぶ事が出来て良かったと思っている。

1、 県予選で勝ち上がってゆくと人工芝のグランドの経験が必要になるだろう。

2、相性の悪いレフリーとの試合運びをどのように進めるか?

3、人工芝のグランドでは、今まで言われてきた“早い強いゴロのボールを正確につなぐ”基本のキが必要だ。

4、相手ペースを打開するには大きな声を出して意思の疎通が必要だ。

5、こう着状態を打破するにはどうするか課題が残った。

こんな事を経験しながら 「地震・大津波 」「福島原発」の悲しい毎日の惨状を見聞きしながら、新しいチームがスタート出来たことを喜び新年度に向けて、楽しい結果を報告できる事を期待している。

八千代高校での遠征試合で感じたことは、私の教師駆け出し頃の昭和40年代に、静岡遠征で藤枝東高校のグランドで、当時の強豪高、地元の藤枝東(長池)清水東(勝沢)静岡工業(松本) 浦和南(松本)浦和(福原)浦和西(中西)帝京(小沼) 韮崎(横森) 習志野 (西堂) 千葉(畑山)Etcの胸を借り、連日のように長池さんの旅館で夜になると、(サッカー談義)をした楽しかった思い出が甦る。

関東大会予選結果・2回戦、対瀬谷西高校4-0勝ち 3回戦、対有馬高校1-0勝ち、4回戦、対大和南高校1-0勝ち、ブロック決勝対横浜東高校1−3で涙を呑んだ。この結果は高校のHPをご覧下さい。相手チームの力が技術的に上だと、それを乗り越えるものがないため、やはり駄目かと言う、底力が出せないチーム状態であるのは情けない。只この結果で総体予選がシードされ、今後の組み合わせの試合に大きく影響する結果であった。サッカーは力関係で相手が上でもそれを破るのが醍醐味であり、動きの量と質で思うようにさせないのが高校サッカーの面白さだと思っている。

卒業生の大学進学状況は 一浪で榊原(東大)大川(早稲田)瓜谷(明治) 川添(東工大) 谷口(早稲田)大浦(慶応)中瀬(早稲田)素晴らしい事だ。私は以前から言っているが、無責任な爺のたわごとだが、勉強は一生かかって出来るが「高校サッカーは一生に一度しか出来ない」簡単に口にするが3年の最後まで選手権で蹴って1浪で東大に合格した喜びと努力は賞賛に値するだろうし、後から続く後輩達の鏡となるだろう。これからの活躍を期待したい。そしてグランドに来て現役達と一緒に蹴って欲しい、是非お願いしたい。

そして今年も有望な新入生が31名も入部してきた。先週の試合の日に応援に来られたOBにも紹介して激励をしてもらった。相羽(42回)加納(43回)榊原(46回)関(48回)他若手OBも数名おられた。有り難う御座いました。これで2,3年合わせて80名位の大所帯の、数だけは全国レベルの高校と同じようになってきた。

新人の練習も何回か見させて貰ったが、止める、蹴る、は出来ているが高校生として通用するには時間が掛かるだろう。それはフィジカルな面で成長期の問題が挙げられよう。あまりあせらず夏過ぎまでにゆっくり育てていって欲しい。そして新1年専属のOBコーチを付けるべきだろう。併せて専属のプロのトレーナーに週2回ほど見てもらっている。OB会で費用の面のバックアップをして欲しいとこの紙面を借りてお願いしたい。

(添付資料)

作品、八千代高校。正面玄関 F4

前々回のスペイン遠征の時 F620084月の作品 

(今年1浪の1年生の時・アスレチック・ビルバオの練習グランド風景)

写真、八千代遠征生徒集合写真(2011・4・2)

「続々・中メール・NO16」4月号 

グリーンハウス物語    2011・4・1

 今回のテーマが「グリーンハウス物語」となっているが、今年に入り善行雑学大学から、表題の冊子が刊行され私の手元に送られてきた。この冊子についての説明は長くなるので省くが、内容は戦前の名門ゴルフ場のクラブハウスの歴史が中心で、戦後神奈川県の体育 セ ン タ ーとなり、合宿所とグランドとして使われてきた歴史が書かれている。(写真掲載)

 今回のテーマを「グリーンハウス」とした理由は、「故・相川亮一君」に関係している。先月号で彼の訃報を載せたところ多くの反響があったが、密葬で家族と数名の知人で執り行われた。その葬儀に私も呼ばれ、「弔辞」を読ませてもらったが、その中で彼がイランで行われたFIFAの・コーチングスクールに参加したことや、国体選抜でグリーンハウスでの合宿した時の話などを述べさせてもらった。

 確か1970年頃、彼から「このスクールに参加したいが、何とか出来ないか」と相談を受けたことがある。当時渋谷にあった日本サッカー協会に頼みに行ったところ、丁度平木隆三さんがおられた。実はその前の年にバンコクで行われたアジアユース大会に、監督・平木、コーチ・八重樫、主務・鈴木中、で参加した関係で、担当の平木氏が快く引き受けて下さったという経緯がある。

 今は鬼籍に入られた長沼・平木・コンビでクラマー氏のサッカーを後世に伝えてきた功績は大きい。藤沢の体育 セ ン タ ー・グリーンハウスで、クラマー監督による日本代表最初の合宿が行われたのが1960年だったと思う。当時は現在の教育 セ ン タ ーのあたりがグランドだった。当時を偲ぶサッカーの話がこの冊子に幾つか載せられている。

 この物語は主に藤沢ゴルフクラブの歴史とゴルフ場関係者の話が中心で、サッカーの話は僅かにその時の日本代表の合宿の記憶(鈴木良・八重樫・中野・氏)の話が載っている。そして高校の大会で使用したいくつかの記録が残っている。(昭和42年・湘南高校が全国選手権神奈川県予選)で優勝した時の写真が掲載されている。(旧ローングランド)

 私の記憶の中にあるのが、1960年日本代表の合宿の時、毎日、藤沢本町の「・氷屋」で大きな氷を買ってリヤカーで運んだ事、当時初めて練習後のアイスマッサージをしたこと、怪我人の打撲や捻挫を直ぐ冷やしたこと、が強く印象に残っている。その時のメンバーで思い出すのが、長沼、岡野、平木、八重樫・・・・・氏の顔である。

 1970年代は、神奈川の国体選抜の合宿でよく使わせてもらった。そして湘南高校の夏の合宿でも何回もお世話になった。また湘南の学校行事の「陸上競技大会」では、必ず陸上競技場を使用し、管理棟になった「グリーンハウス」を利用した。この中に入っている「食堂の玉屋さん」の先代のオヤジさんとは長いお付き合いであった。又管理人のオジサンともお付き合いが長かった。

 そしてもう一つ記憶に残るのは、1981年「昭和56年全国総合体育大会」を神奈川県で開催した折、サッカーの事務局をこの「グリーンハウス」に置き、数ヶ月間準備の為ここで仕事をした。この年は勝沢監督率いる清水東高校が強く、多くの優秀選手をそろえ優勝したが、この時三ツ沢で初のナイターを実施したという懐かしい思い出がある。

 このように一つの建物を描くだけで、沢山の思い出と「物語」がある。私の描く作品にも歴史物語があり、沢山の思い出が甦ってくる。今回は特に「故相川亮一君を偲ぶ会」を4月に予定している為、クラマーさんのこと、「グリーンハウスの思い出」、彼の母校「栄光学園」等々の話が甦り、謹んでお悔やみを申し上げたい。(合掌)

 この原稿を書いている時に、東日本大震災が起きた。毎日TVで放映される、地震と津波の生々しい記録、加えて福島原発の大惨事、何を見ても痛ましい事ばかり、この年寄りが何をすれば良いのか、思い悩み積極的に行動を起こせないのが悲しいが、この紙面を借りて何とか早く復興できる事を祈り、亡くなられた犠牲者のご冥福を祈るばかりである。

「写真」

1、善行雑学大学・刊行「グリーンハウス物語」

2、鈴木 中 作品 「グリーンハウス・正面・F4・縮小」

「グリーンハウス・南側・F4・縮小」 

3、(写真)・2002620クラマーさん講演会・県サッカー協会

「続々・中メール・NO15」3月号    

2010シーズン                     2011・3・1

 今回は2010シーズンのまとめをしてみたい。先ず日本代表チームが大変良い結果を残した事は、サッカー界にとってもまた日本のスポーツ界にとっても大変良い結果だった事を心から喜びたい。先の南アフリカワールドカップで岡田ジャパンが予選リーグで格上のカメルーンに1−0、デンマークに3−1で勝利しリーグを突破し16に残った快挙がある。

 戦前の予想を覆し世界のベスト16に入った事は凄い事であった。1998年フランスで初めての本大会出場で予選敗退、2002年の日韓地元開催は16に入ったが、2006年ドイツ開催では予選を突破できず、期待して現地へ応援に出掛けたが、残念ながらやはり駄目かと肩を落として帰国した苦い経験があり、今回の結果は快挙と言って良いだろう。

 一方国内の結果はJリーグの優勝が名古屋 ク ゙ ラ ン ハ ゚ ス、天皇杯は鹿島 ア ン ト ラ ー ス ゙でプロリーグが安定したと見てよいだろう。他方アマチュアであるがそれぞれ社会人・大学・U18・高校・中学・少年・女子・シニア・・と都道府県協会傘下のピラミットの土台はしっかりと力をつけて大会が開催されてきた。全ては書き尽くせないが少しまとめておきたい。

 先ず大学であるが地方大学が力を付けてきたと言えるだろう。1月に行われた第59回全国大学選手権大会の決勝戦が、関西大学2−1中京大学で関東のチームが残れなかった現実をどう分析すればよいのだろう。又19回女子の大学は早稲田大学が3年連続優勝し、このことも原因は何処にあるのか探っておきたい。

 さて高校年代のサッカーのU-18高円宮杯は優勝がSF広島、2位・FC東京、3位静岡学園高校であった。実力はJユースが上だったように思う。第89回高校選手権大会は今年も初優勝になるが滝川二高(兵庫)5−3久御山(京都)であった。ここ数年初優勝が続いている。88回・山梨学院、87回・広島皆実、86回・流経大柏、85回・盛岡商業であった。

 さてシーズンの最後を飾ったアジアカップはザッケローニ監督の采配が当たり見事な優勝であった。準決勝で韓国にPKで勝ち、決勝戦オーストラリアに延長1-0での優勝は未だ記憶に新しいが、長友の左からのセンターリングを右の李の左足ボレーのダイレクトシュートは見事であった。全てが上手く展開した監督は満足のいく大会だったと思う。

 此処でもう少し感想を書くなら、世界に類を見ない、100年の学校スポーツの歴史の上にある日本のプロサッカーが監督には非常にやりやすい環境だったと言えるだろう。しっかりと教育された選手達は、名門校(鹿実・国見・東福岡・藤枝東・清水東・星稜・桐光・等の卒業生)そして大学生(明治・筑波・学芸・法政・大学の現役)でフレッシュだった。

 先月の中メールの絵画作品に「湘南の卒業生・ノーベル化学賞根岸英一さんの垂れ幕」を掲載した。その隣に「フェンシング・Jrワールドカップ出場の和田花子さんの垂れ幕」を載せたところ、この反響が凄かった。世界大会と言うのは私達が想像をするものとは世界が違うワールドクラスのレベルの話で、高校生としては見事な結果だと言えよう。

 想像だけの話を書くのは失礼なので、その道の専門家に聞いたところ、正にその通りで、それは想像以上の素晴らしい大会のようだった。此処で私が言いたいのは、昔は良く使われた「文武両道」と言う言葉が、湘南高校で現実の問題として語れるような時代が、又来つつあると秘かに期待している一人の年寄りの気持ちを伝えたい。

 先日卒業生(54回M君)の関係で、 「名古屋 」にある業界の管理職対象の講演会を依頼され「サッカーの組織論」と言う話をしてきた。その時に私のプロフィール紹介に「元湘南高校教諭・神奈川県サッカー協会名誉会長」と書かれ、野球の甲子園の優勝、サッカーの全国優勝と6回の全国大会出場が紹介されていた。そして平成19年から神奈川県学力向上進学重点校に指定されると書かれてあった。

 韓国の放送局が「湘南高校」の取材に来たらしい。韓国ではこのような学校は無い様で、ノーベル賞学者が出るような学校のグランドで、サッカーや野球を本格的にやっているのは不思議な光景に写ったらしい。韓国では体育の専門コースをおいてサッカーを強化する方法をとっているようで、日本もこれから国の予算で強くなる高校が増えてくるだろう。

 この数ヶ月で、日本代表チームの若い選手が、海外の有名クラブで活躍する話が新聞に取り上げられるようになってきた。10数人居る彼らの情報を見ると、堂々と英語でのスピーチ,グランドでの物怖じしない態度が、これからのインターナショナルへ育ってゆく可能性を強く感じられた。100年の学校教育が日本プロサッカーに息づいている事を強く感じる。

 (訃報)長く神奈川県サッカー協会の技術委員会におられた、相川亮一氏が1月にご逝去されました。氏は国体少年の部のコーチとして神奈川県の高校生の指導に専念され、多くの日本代表選手を選出された大功労者と言えるでしょう。湘南のOBの中にも多くのお世話になった方がおられると思います。心からお悔やみ申し上げます(合掌)

鈴木中・作品(279YCAC283・名古屋城天守閣)

107回筑波大学対YCAC(横浜外国人クラブ)交歓定期戦会場(F4)

名古屋での講演会の時の作品・名古屋城(F4)

熱田神宮、御神木(樹齢1000年楠木)(14cm×18cm)(スケッチ)

「続々中メール・NO14」2月号

高校サッカー                     2011・2・1

 2011年の年明けはTV観戦で 「天皇杯決勝戦 」鹿島アントラーズが清水を2−1で下しての優勝だった。続いて大学の決勝戦は、関西大学が中京大学を2−1で下し2度目の優勝を飾った。又大学女子の決勝戦は早稲田大学が3年連続の優勝だった。平行して暮れから開催された恒例の高校生の試合で、例年通りサッカー漬けの正月になった。

さて今回は高校選手権大会を6日間見てきたので、幾つか感じたことを書いてみたい。何と言っても私の好きなのは、高校生らしさのある真面目なサッカー」が多く見られたので楽しかった。一言で言えば基本に忠実な、動きのある、諦めない、しっかりと指導されたサッカーが勝ってくるという、当たり前のことが多く見られたように思う。

多くのサッカー関係者に会い皆さんが「高校サッカーはいいですね」と口を揃えて言うのは何故だろう?正月大会の「歴史と伝統」のような気がする。戦前からある学校スポーツの脈々と流れる歴史の重みを感じる。京都代表の「久美山高校」は、歴史の浅い高校ではあるが、準優勝であったが大変好感の持てる私の好きな良いサッカーだった。

50年も昔、私が「京都紫光クラブ」で蹴っていた頃の懐かしさもあり、非常に楽しく観戦できた。未熟なところはあるが、高校生のサッカーを代表するような新鮮味のあるサッカーだった。家に帰りTV観戦したスペインサッカーに通じるものがある。それは何だろう。個人の力を倍増する「正確なパスサッカー」が出来ているからだろう。

サッカーの基本「ボールに早く寄る」「出足」「姿勢」「足裁き」「フットワーク」「ランニングフォーム」「身体の寄せ」「膝の使い方」そして「正確に止める、正確に蹴る」、100年も前から言われているサッカーの基本が出来るかどうかが勝敗を決めるような気がする。50年前に、クラマーさんが口を酸っぱくして言っていたサッカーが今尚通じる訳だ。

「個人の技術」としてのボールコントロールの上手さは近年向上したが、使い方はなんら変っていない。即ち相手の逆を突く、フェイントの使い方、緩急の変化、はサッカーでは当たり前の技術だが、如何に個人の技術をチームに融合させるかが、個人の技術の底に流れる心の問題になるのかも知れない。即ち頭の問題」と言えるのだろう。

戦術(攻守)について今回はあまり触れていないが、攻撃から守備をするフォワードの忠実なディフェンスがサッカーでは一番大事なことであり、プレミヤリーグのマンUのルーニーの特色である「取られたら取り返す」忠実なサッカーが原点だと思う。又攻撃のスタートは、GKの球出しが出発点だと言うことを理解したチームは強いチームと言えると思う。

そして最も大事な事は、チームプレーであると言う事の大事な要素に「動きの連動」と言う事を強調したい。即ち一人だけの動きでなく、2人3人の動きが連動しての攻撃であり守備である事が攻守の原点になり、この事を選手達が理解できると良いサッカーになり、良いチームだと言えるようになり、勝つ事のできる強いチームになると思う。

正月恒例の「蹴球祭」は好天に恵まれ予定通り行われ、古いOB〜最近のOB(約100人)と懐かしくお会い出来、感謝感激であった。最初の教え子である37回(1962年卒)現会長牧村氏も元気回復し、その頃の人達も既に還暦も過ぎ動きは鈍くなっているが、正確なパスサッカーを充分に堪能し、昔の高校生に戻って楽しい一日を満喫したようであった。

最後になるが新人戦の結果を報告したい。県大会1回戦の対浅野高校は怪我人数名を欠き試合内容はいま一つであったが2-0で勝ち上がった。2回戦川崎北高校に1-0で破れ、例年のように県のベスト32止まりだった。実力は勝ると思う相手に苦渋を味わうのがここ数年の結果であり、この弱さを乗り切る 「勝負強さを 」どう身につけるかが今後の課題だろう。

「今月の鈴木中・作品(F4)」

1、歴史に残るノーベル化学賞「根岸英一さん」と

フェンシングJrワールドカップ出場「和田花子さん」の垂れ幕のある「赤木苑」

2、(ニッパツ・三ツ沢競技場)第89回全国高校サッカー選手権大会会場

「電光掲示板が南側に移動した。」

「続々中メール・NO13」1月号

日本サッカーの行方?                 2011・1・1

 あけましておめでとう御座います。月日の経つのは本当に早いものです。暮れに新年号の原稿を書くのもやっと慣れてきました。この原稿が発表される日は、平成23年、元旦の「天皇杯決勝戦」そして高校選手権大会1回戦の結果が出る日になります。2日、3日は大学駅伝、そして高校選手権2回戦です(座間高が初戦に勝てば等々力サッカー場です)。

 今年もよろしくお願いいたします。この紙面をお借りして年頭のご挨拶とさせて頂きます。既に古希を過ぎてからは、年賀状は失礼させていただいております。長年役員として通った三ツ沢サッカー場が「ニッパツ・・・」と名前が後援企業名に変わりましたが、この会場でサッカー関係者には新年のご挨拶をさせていただいております。

 天皇杯は清水 エ ス ハ ゚ ル ス対鹿島 ア ン ト ラ ー ス ゙のJ1同士の決勝対決になりましたが、何かもう一つ魅力に欠ける試合になりそうです。原因は何処にあるのでしょうか?日本の観衆も目が肥えてきて、毎週のようにTV観戦出来る、プレミヤ、セリエA、リーガ、ブンデスリーグ、等と比べてJリーグの人気が落ち込んできているのではないかと心配をしています。

 暮れにTV放映されたイタリヤのプロへの道、セリエA・インテルの選手発掘、育成の過程はJのチームにとって大いに参考になったと思いますが、日本のお家事情とはかなり違うので、世界に誇るイタリヤサッカーの真似をするのは危険でしょう。もっと日本に合った方策を考える時にきているように思います。

 続いて大学日本一も新年になって決まりますが、私の母校(筑波大学)がベスト4で敗れ始めての中京大学と関西大学の決勝戦になりましたが、悔しいけれど、大変良い結果だと思います。地方大学の台頭は日本サッカー界の中で学校教育がサッカーの原点だと、兼ねてから言い続けていますが、良い方向だと思っています。

特に大学でサッカーの指導者を育てる事が出来なければ駄目だと思います。大学サッカーは優秀な指導者育成の場にならなければいけないと思います。昭和の初期に加納治五郎先生が東京高師体育学部長として全国に優秀な体育教師を送り出した経緯があります。この事をもっと真剣に考える時です。

 私が尊敬する先輩「三村恪一氏(元日本代表)」はこんな事を言っておられます。(サッカーの出来る高校へ、大学が推薦できる良い指導者を送り込めるシステムを考えられないのか?)校長、後援会、保護者会、体育科、等から優秀なサッカー指導の出来る人材を推薦して、都県教育委員会が積極的に採用できるシステムを作る事は可能だと思います。

 日本サッカー協会の莫大な予算の中で各県への指導者養成のための補助金を出す事は出来ない事なのか?施設整備のための補助金で、希望する学校があれば人工芝にするお金を出せないのか?無茶な話だとは決して思わない。ワールドカップ招致の為に莫大なお金を使うより湘南高校のグランドを人工芝にする位のことを考えて欲しいものだと思います。

 そんな事を考える会を暮れに持つ機会がありました。県の古いサッカー仲間で、日本サッカーを考える会として激論を交わしました。結論はもっと良いサッカーの指導者を育てる事が第一に挙げられました。良い指導者とは、人間として優れた人材で、本人も一流の選手で無ければなりません。そして誰よりも何よりもサッカーが好きであること・・・・

 最後になりますが現役の活動情報で2010年の締めくくりとします。12月末「・・フェスティバル」に参加して、県内校・日大日吉・武相・金沢・藤沢西・三浦・湘南学院・逗葉・平塚江南・県外校・東海大高輪・日大三校・国分(千葉県)とAチームは11試合を戦いかなりレベルの高い試合内容で満足できる練習試合であったと思う。

 B/Cもそれぞれの相手と同じように試合を組み、どの学校も部員を沢山抱えているので、それなりに全員がレベルに応じて試合が出来るので意味のある対抗戦だったと言える。

只指導者のエネルギーを考えると冬休み返上でグランドでの指導には頭が下がります。最も我々も永いことやってきたことを思い、今頃カミサンに感謝しています。

「作品」

1、年賀状 「箱根、早川・アジサイ橋」 「沖合いから見た・江ノ島」

2、2011、江ノ電沿線カレンダー「故田口雅巳作(鎌倉高校卒)」私の好きな作家

     表紙は江ノ電、鎌倉高校駅から江ノ島・富士山を望む

3、鈴木中作品 

1、昨年42回生湯浅君のヨットで(外洋から江ノ島を望む)

2、鵠沼海岸から描いた、江ノ島を望む

「続々・中メール・NO12」12月号 

サッカーシーズン2    2010・12・1

11月14日に三ツ沢サッカー場で行われた、第90回全国高校選手権大会神奈川県予選決勝は日大藤沢高1―1座間高がPK4−3で優勝。内容はいま一つであったが、座間高校の初出場は創部40数年大変立派な結果である。此処まで来るには指導者が多くの困難を乗り切り、久々の公立校の出場となった。今回の座間高校の本大会での活躍を期待したい。

冬のこの大会は高校生の夢の大会と言える。色々なサッカー人生の中でこれほど一生の思い出となる大会は他には見当たらない。以前掲載した「私の宝物」の一つが、1953年私が高校時代に出場した参加賞のボール、教員として指導し湘南が出場した1964、1966、1988年、3回の参加賞がある。(尚戦前の3回を加えこの大会に湘南は6回出場している)

この歴史ある大会は戦前甲子園大会と言われていたが、戦後は毎日新聞社後援で、兵庫県西ノ宮市で開催され、その後東京 オ リ ン ヒ ゚ ッ ク後、日テレ中心の民放が後援して首都圏開催となり、東京、埼玉、神奈川、千葉で正月に開催し、最後は国立競技場で、準決勝、決勝戦を実施し、現在は4万人以上の観衆を魅了する立派な大会として定着してきた。

 次に関東大学リーグ戦は最終戦を待たずに「明治大学」が勝ち点で飛びぬけて、優勝が決まってしまった。前期・後期・12チーム総当りリーグ戦で22試合実施されるが、勝ち点49明治大学が優勝、2位筑波大43、3位国士館大が40で終了した。長期にわたるリーグ戦でそれなりの意味があるが、昔の6チーム一発勝負の時代が懐かしく思われる。

 中国開催のアジア大会であるが、女子の「なでしこジャパン」が北朝鮮を破り初優勝。男子はU―21で臨み、日本は地元中国とのリーグ戦1回戦3−0、2回戦マレーシアに2−0で決勝トーナメント進出。準々決勝でタイに1−0で勝ち、準決勝でイランに2−1で勝ち、決勝戦UAEに1−0の優勝は、素晴らしかった。若い選手の健闘を讃えたい。

 さて湘南の現役はU-18・K2リーグ戦が6月〜11月まで半年間、9チーム総当りで行われた。上位ブロックK1に上がる力はあったと思うが、長丁場のリーグ戦で取りこぼしがあり、今年はBブロック3位で終了した。後悔先にたたず、敗れた2試合が大きく影響して涙を呑んだが、リーグ戦での戦い方も勉強になったと思う(HP高校サッカー参照)

そして新人戦は先ず地区リーグ戦Aブロック、対茅ヶ崎高校2−2湘南、対鵠沼高校1−2湘南で1位になり湘南地区順位決定戦に臨み対西浜高校0−2湘南、2回戦一方的に押し込みながら結果は、北陵高校0−0PK戦に敗れてしまい、地区のシード決め大会を終了して、県大会へ進むことになった。(中央大会で最初に強い相手と当たる可能性がある))

選手たちは選手権予選で良い結果を残さないと、次の大会の組み合わせに影響すると言うことが解かったと思う。高校時代の公式戦は取りこぼしをすると次年度まで影響してしまう。勝負にこだわるだけではいけないが、技術、戦術も優れ、その上で勝負強さを持ち合わせなければ、強いチーム、良いサッカーとは言えないと思う。

そんな経験をしながら選手たちは、短い高校生活を終えてゆく。そして指導者も人生をサッカーにかけて燃え続けて行くが、良い結果が残せた指導者はそれなりに満足し、殆どの指導者は負け続けても、次を期待して燃え続けてゆく。そんな姿を見ながら、今日も昔の自分と比較し、高校生の指導の奥深い魅力を感じながらグランドの景色を描いている。

さて今月の作品だが、紅葉が素晴らしい。箱根の景色は本当に美しかった。11月は描いていて楽しい、高校選手権大会の日「三ツ沢競技場へ向かう道すがら・・」横に見える景色を描いたスケッチ、初出場の座間高校の優勝を祝したい・・・

1、 箱根湯本・早川の紅葉

2、三ツ沢競技場への道・左側の紅葉

3、大雄山・最乗寺・山門(奥の院までの道中)

「続々中メール・NO11」 11月号 

サッカーシーズン                    2010・11・1

 先ず初めに国際試合(アルゼンチン0−1日本代表)ザック監督の第1戦の勝利をお祝いしたい。若手に切り替えたメンバーで臨み、世界のトップチームに互角で戦えた日本チームの心意気に敬意を表したい。精神力、体力、技術、戦術、共に対等以上に戦えた選手たちの今の実力の裏にあるものは何かを、時間を掛けて探りたい。

 そして続いて韓国とのアウェイでの親善試合、見ていて楽しいレベルの高いゲームだったが、やはり相手の激しさ、あたりの強さ、今流で言えばアグレッシブなサッカーでは相手が一枚上だったと思う。ただパスの速さ、崩し方、ダイレクトパスの使い方は、日本が優れていたと言えるだろう。この辺をどう磨くかが新チームの課題と言える。

 さて国内の大会、天皇杯が10月中にベスト16チームが出そろった。結果はすべてJのチームに落ち着いた。やはりプロの実力は当然の結果と見てよいだろう。ただこの中にアマチュアチームが入ってくる事を願っている一人である。私はJのチームの見せ場は外国人選手の高い技術とハングリー精神ばかりが目立ち、見ていてあまり興味をそそられない。

 そんな意味から高円宮杯(U―18)の準決勝を期待して観戦した。静岡学園―サンフレッチェ広島、三菱養和―FC東京の準決勝は期待したとおり好ゲームであった。しかし高校勢はここで敗れ,FC東京1―2SF広島が優勝した。最近広島勢が又力をつけてきた原因はやはり伝統と歴史があるからだろう。只この大会も観衆が少ないのが少し気になった。

 先月号で国体の少年の部(U−16)を紹介したが神奈川県チームは今回ベスト4止まりで3連覇は出来なかった。決勝は東京と大阪だったが東京の優勝で幕を閉じた。どのチームもJのジュニアユースの選手ばかりで構成されているようで、東京は(三菱養和・FC東京)の選手が多く、大阪は(ガンバ・セレッソ)の選手が中心だった。

 又楽しみに見ている関東大学リーグ戦もいよいよ後半戦に入り好ゲームが続出している。添付資料に日本サッカー協会の年間計画を載せたが、面白い事に関東大学リーグ戦の計画が、日本の計画の中に入ってくるのは、何故か不思議に思いながら見てきた。それだけ大事な試合として位置づけられているのか?さだかではない・・・

 此処でもう一つ取り上げなければいけないカテゴリーの世界大会(U-19・ワールドカップ)アジア地区予選大会がこの時期に開催されている。残念ながらベスト4で韓国に力負けして涙を呑んだが、この世代がどうしても韓国に勝てない事が、現在の日本サッカー界の大問題である事を我々は強く感じなければ、今後の事を語れないであろう。

 大学は残り4試合を残し、上位は明治・駒沢・中央・国士・筑波・と続き、勝ち点で明治大学がトップを走っている。只残念な事は、各大学とも中心選手はJユース出身者が多くなって来ている現実を考えると、入試に際しての推薦制度等の理由で高校生の門戸が狭くなっている現実があり、今後もこの傾向が強くなっていくだろうと予想される。

 さて現役の10月の試合は練習試合が3試合、対三浦高校、平塚江南高校、そして淵野辺高校、は雨で流れ、新人戦対茅ヶ崎2―2湘南は引き分け、対鵠沼―湘南が行われ、11月に県大会に出場できるかどうか未だわからない状態である。この大会で今シーズンは幕を閉じるが、来期は全て一からの出場で厳しいシーズンになると思われる

 最後になるが11月13日に44回生の「還暦祝い」を予定している。藤沢グランドホテルで、上は42,43回、下が45,46回生、総勢45人で計画されている。桑本主将、小泉治子(初代湘南女性マネージャー)(旧湘南会館、部室棟前1階の右端がサッカー部室)卒業アルバム、写真だと思う。(中央、私・岩淵先生、石川先生、昭和44年春撮影)

 このHP「懐かしの写真館」に私の古いアルバムに残っていたものを掲載してあるが、全ての方の氏名が確認されていない。是非?名簿の確認をお願いしたい。?その代の公式戦記録?遠征場所・時期・その他試合相手、結果等?定期戦・筑波大付属・浦和(会場)等(写真撮影日時)。100周年の資料にしたいので皆様のご協力をお願いしたい。

「添付資料」

1、日本サッカー協会年間計画

2、44回生卒業アルバム

3、42回生、第44回全国高校選手権大会神奈川県予選優勝メンバー

4、関東大学リーグ戦会場(平塚競技場)

「続々・中メール・NO10」10月号

関東大学サッカー事情                2010.10.1

 今回このようなテーマにしたのは、日本サッカーは大学サッカーが発展しなければ、世界に追いつけないと言う、私の持論である。再三書いてきたが高校サッカーが発展しなければ、大学サッカーは強くならない。この事は日本の学校スポーツが世界に類を見ない、素晴らしい環境にあることを、我々は認識しなければならない。

 先日韓国のTV局が湘南高校の授業と部活の状況を視察に来て、学校スポーツの部活を放映すると言う企画をしていると、新聞報道に載っていた。それは韓国では考えられない事らしい。即ち高校での勉強と部活が両立すると言う現実を報道するらしい。文武両道が出来るかどうかは疑問だが、湘南高校では部活は現実に行われているのは事実である。

 さて後期関東大学サッカーリーグ戦が開幕した。12チーム2回戦総当りで、国士、慶応、駒沢、法政、中央、流経、明治、拓殖、順天、神大、筑波、早稲田、大学である。殆ど実力互角、各試合見ていて楽しめる。会場は神奈川県内が多く(平塚、三ツ沢、厚木荻野、保土ヶ谷・・で)毎週、土曜、水曜、開催なので観戦する機会が多いことを喜んでいる。

 私は次のW杯ブラジル大会にこの中から数名が出る事を期待している。大学サッカーで特筆する事は、何処の学校も部員数が非常に多いことだ。ある大学は200名近い部員を抱え、それなりに活動している。大学リーグ、JFLリーグ、県リーグ、同好会リーグ、・・・リーグ戦と幾つかのカテゴリーに別れ、1年間にそれぞれが数試合消化している。

 このような現象は部員を多く抱える高校にも現れている。プリンスリーグ、県内大会、地区大会、1年生リーグ、・・・リーグ戦というように、幾つかに別れ登録し活動している。それに対応する為には指導体制が整わなければ困難が多すぎる。コーチ陣の充実が計られなければ一人の顧問教諭だけの部活指導では無理だろう。

 このような傾向は強豪校と言われる高校では体制を整え、トップチームの強化を図り、高校サッカーのレベルアップに繋がっているようだ。これに比べ全国的に中学校サッカーのレベルが低いのは何故だろう?要因は幾つか挙げられるが、此処ではもう少し様子を見ることにしたい。全国中学大会で藤沢市の村岡中学が決勝戦まで行った原因を探りたい。

 一方中学生年齢では国体少年の部(Uー16)で神奈川県が2年連続で全国制覇を達成し、今年勝てば3連覇になる。このカテゴリーは、やはりJリーグを4チーム持つ神奈川県が、横浜Fマリノスジュニアを中心にしたチームが断然強い事が解っている。練習会を見ても中学校代表選手とJジュニアの選手は明らかにレベルが違うことが解る。

 さて本題の大学サッカーの実力を探るには、天皇杯の結果からある程度推測できる。即ち、今年の大会(第90回)のベスト32は全てJリーグ関係で大学チームは姿を消している。何回かの大会で大学チームが優勝した古い記録も残っている。歴史の流れがあり、予選大会の状況で何とも言えないが、もう少し大学チームが活躍して欲しいと願っている。

 時代は違うがまだJリーグが生まれる前、いや社会人チームが出来上がる前、我々の現役時代の天皇杯決勝大会・(古い資料から、私も出場した、昭和32年・第37回大会プログラム参照)大学OB、現役、全早大、慶応BRB、茗友ク(教育大)、中大ク、全立教、関学ク、関大ク・そして実業団は、八幡製鉄、東洋工業、紫光ク・等の16チームで争われた。

 この大会の結果は東洋工業1−2中大クで中央大学が優勝した。このときの主将が神奈川県で今尚健在な「三村恪一氏」である。先日も仲良く二人で平塚会場の大学リーグの試合を観戦した。古きよき時代の話だが・・・その後46回大会・釜本の時代に早稲田が優勝してからは大学チームが天皇杯を制した記録は無い。次は何時になる事だろう・・

 今年の大学リーグ前期は明治・駒沢・筑波・国士・中央・が勝ち点21で並んでいる。後期がスタートして何処が優勝するか?楽しみである。1,2、週を見た感じでは・・明治、流経、国士、が2連勝で本命と見てよいだろう、楽しみな選手が数名居るので今年も老骨に鞭打ち、大学リーグ戦を追いかけてみよう。

「OBの情報です」51回生の大木孝さんは、小田原で弁護士をやっています。10月に本を出すことになりました。題して「和光だより〜刑事弁護教官奮闘記」(現代人文社、10月刊行)。横浜弁護士会所属の方で、司法研修所の教官を務めたのは3人目だそうです。このときのメールマガジンをとりまとめたエッセイ集です。専門のお話と一般的なお話の両方で構成されています。ご興味のある方は、是非読んでみてください。(関佳史君より)

(追伸)

 原稿を提出した後、平塚で行われた大学リーグ戦、慶応3−0早大を観戦し特筆すべき事があった。以前は考えられなかったハーフタイム・ショーに両校ともチアガールが出てきた。サッカーの内容は見るべきものは無かったが、慶応大学の演技はなかなかのものだった。今後はサッカーの試合よりチアガールの踊りを楽しみに観戦に出掛けよう。

「写真と作品」

1、昭和32年天皇杯決勝大会プログラム(広島会場・ガリ版刷り)

2、51回生、大木孝さん出版「和光便り・・」

3、慶応大学・ハーフタイムショー

「続々・中メール・NO9」9月号

 夏休みの報告                    2010・9・1

 W杯フィーバーも終わり、高校選手権大会一次予選に破れ、現役は例年のように8月8日〜12日まで「夏の合宿・波崎(茨城県神栖市)」(利根川の河口で対岸に千葉県銚子市の町並みの見える漁師町の民宿)で次のチーム作りの強化練習を消化してきた。1,2年生で総勢約60名の大所帯を動かすのは大変なエネルギーである。

 猛暑が予想されたこの時期、海風の吹く凌ぎ易いコンディションに恵まれ4泊5日の合宿は、成果が上がったと思う。割合古典的な練習内容で私好みのかなり厳しく追い込む練習が多く、体力、精神力の限界に挑戦させて結構頑張って走っていたようだ。また試合も丁度良い相手を選び、2日目に慶応大学のC戦は内容のあるゲームだった。

 30分3本、それぞれのレベルに合わせたゲーム内容で、見ていて楽しかった。

1、前に行くと見せかけ相手の逆を突くプレー、2、早い出足で相手ボールをカットして縦に早い攻撃、3、見方の足元に正確にパスしてリターンを貰うプレー、等々サッカーの本質の出来る選手を数名見ることが出来て、暑い中参加して良かったと感じた。

高校3年間と言っても正味2年数ヶ月である。まして選手権大会の一次予選で敗退すると3年の7月に引退である。一番大事な高校3年の後半にサッカーに集中できないのは、本当に悲劇であり、同情してしまう。しかしこれも勝負の世界であり、割り切って自分の世界を切り開いて欲しい。その気になれば大学で活躍することもできる。

この夏の暑さは何と言うのか・75年間生きて来て最高の暑さだろう。私の現役時代は、30度を越すのが異常だと言われてきた。最近は35度を越える日が何日も続いている。練習中水分補給などはしなくても過ごす事が出来たのだ。今はこまめに水分補給だ、試合中の飲水タイムだと言う時代に変ってしまった。

心配しているのは、夏の炎天下の試合が出来なくなる時代が来るのかもしれないということ。地球温暖化の異常気象は、これからの生活も変ってきてしまうだろう。何とか手を打たなければ大変な事になりそうな気配を感じる。夏の甲子園の高校野球も日本中が冷房の中で見ているがそのうちグランドで、何か事故が起こらないよう祈るのみである・・

異常気象の中、例年通りOB会は8月14日に開催され、現役に「檄」を飛ばされたようだ。と言う私もあまりの暑さにグランドに顔も出さず、報告だけは聞いた。若手のOBは数名集まりゲームを楽しんだようだ。猛暑のグランドを年寄りは避けた方が良いようだ。

冷房の利く部屋の中で「お絵描き」とTVの高校野球観戦が良いのかもしれない。

 現役は夏休み後半の湘南地区大会で、慶応藤沢、日大藤沢とゲームを消化して、20日〜23日、ホームでAチームは対横浜東、鎌倉学園、座間、と練習試合を行い、横浜東の新チームとの試合は相手が素晴らしいチームで圧倒され0−3で完敗、鎌倉学園には4−1勝利、座間のAチームに2−4で破れ夏休みの練習は終了した。

夏休み最後の3試合を通して感じたことは、2年生が合宿を過ぎて少し力をつけてきたこと、1年生が高校生になってきたと言う感じが出てきた。2年(主将候補、岩村・塚本)、栗原、工藤、人見、内田、1年・(GK、大村・石川)中沢、幸福、長、木村寛、大内、等が新チームの中心選手になり、これからの活躍を期待して見てゆきたい。

「作品・鈴木中」冷房の利いた部屋の中での作品ばかりである。

245・波崎の夏合宿、日本では珍しい風力発電の、風車の見える芝生グランド

241・元気が出る、赤い鳥居の茅ヶ崎サザンビーチ入り口

243・この夏も人気のある茅ヶ崎サザンビーチ海水浴場

「続々・中メール・NO8」 8月号

 2010南アW杯・総括                    2010・8・1

 6月に行われた4チーム16ブロック予選は、勝ち残る為の壮絶な戦いの連続であった。

口では簡単に精神力だ、武士道だ、魂のぶつかり合いだ、・・・と言えるがどの試合を見てもそれはすさまじい国同士の戦いであった。日頃見ているJリーグの試合やアマチュアの大学、高校、の試合とははるかにかけ離れた世界が熱狂する別のスポーツであった。

 記憶に新しいフランスとイタリヤの敗戦、韓国の生き残りの試合や、イングランド、アメリカ、が最後の最後に決まり、スロベニヤとアルジェリアが落選、D組でドイツがしぶとく勝ちあがり、殆どの試合が最終戦で決まると言う本当に厳しい予選リーグの戦い方を見ると流石に世界一を決めるNO1スポーツだと感じた。

 さて我が日本はカメルーン戦に勝って日本国中が盛り上がり、その勢いでデンマークを3−1で破り予選突破を果たした。希望的観測で、戦前の予想から予選を突破できるのでは?ベスト4などと高い目標を掲げたが、ベスト16までは何とか勝ち進むことが出来たが、1回戦で南米の勇パラグアイにPK戦で涙を飲んだ。

 パラグアイにPK戦で敗れて惜しかった、良くやった、と思ったりもするが、大事な事はアジアで「韓国」に水を空けられたと感じている人が何人居るだろう、現実を冷静に受け止め世界のトップに通用するにはどうすれば良いのか、日本協会が真剣に取り組まなければいけないと思っている。先ず何が足らないのか?日本人の良さは?

 多分良くやったと褒める事ばかりで、今後直ぐにでも手をつけなければいけない問題が沢山あるように感じた。16チームによるトーナメントの試合は、 ノ ッ ク ア ウ トなのでおのずと戦い方は違ってくる。確かに結果だけ見ると、世界のベスト16は凄い事だが、大事な事はその上を見なければいけない。この先世界のトップクラスのサッカーが今後の課題だろう。

 さて本題であるトーナメントのベスト4はウルグアイ=オランダ、ドイツ=スペインになり、決勝戦は力のあるオランダの総合力を延長戦で制したスペインの優勝で幕を閉じた。こうしてみると、やはり伝統の強豪国が最後に残り、終わってみればパスサッカー主体で守りの堅い(GKを含め)スペインがはじめての輝かしい記録を残した。

 大会のレポートはマスコミにお任せして、今後の日本の強化策はどうするかを期待したい。大人のサッカーは協会の技術委員会が考え、私は今の子供達の指導をそろそろ変えてゆく時期に来ていると思う。現在普及発展の為に行われている指導方法の上に世界に通用する為に必要なものは何なのか真剣に考えて欲しいと思っている。

 私はここで声を大にして言いたいのは「Jリーグのユース選手」はチームに任せ、高校で活躍している選手は「高体連」で独自に強化する事を考えては如何かと思う。即ち明治100年も続いている世界に類を見ない「学校スポーツ」の良さは日本独特のものだと思う。

この組織をもっともっと大事にする為には・・文部省の管轄かもしれないが?

 福島に作った「サッカー学校」はどうなっているのかアイディアは良いと思うが、全てが底上げで、普及発展には貢献していると思う。Jユースも然り、普及の時代は終わったと思う。世界に通じるサッカーは?本多、松井、大久保、長谷部、のように外国人任せで良いのだろうか?真の日本人サッカーとは?もう政治の世界で考える時代かも知れない。

私はドイツの新人強化策を見本にしてゆくべきだと思うし、スペイン風のパスサッカーを見習い、世界的に見て選手が若返っているので、フレッシュな選手が活躍するチームのバランスが大事な事だと思うが、次の2014のブラジル大会までにどんな方法でやろうとするのか、日本人の持つインテリジェンスのあるサッカーを追及して欲しいと思う。

毎晩遅くまで、いや朝まで連日見てきた試合の観戦レポートを書き出したらきりが無いのであとは、湯浅君のレポートに任せて私は湘南の現役のサッカーに触れて行きたい。

冬の選手権一次予選が7月18日に始まり結果は1−0金沢、2−1南、6−0厚木南、代表決定戦で鎌倉に0−2で破れ一次予選を突破できなかった。(HP参照)

1年生を4,5名使い思い切ったメンバー構成で臨んだ戦い方であり、ほぼ満足できる結果だと言えるかもしれない。只最後まで全員残った3年生で試合に出場した(羽田、宇喜田、石川、GK河野、伊東、安部)は良くやったと褒めてやりたい。残念ながら鎌倉高校との代表決定戦で敗れ引退試合になってしまったが、他の三年生にもご苦労様を言いたい。

さて現役の試合で技術的問題(攻撃の技術)として強く感じたことを上げておきたい。

1、良いパスから、良いシュートが生まれる。

2、シュートは単発では駄目、1の矢、2の矢、3の矢、が得点になる。

3、ヘディングシュートはゴールラインに叩きつけるように打つ。

4、ゴール前へ折り返すパスは得点につながる(倒れても折り返せ)

「作品」鈴木中・今月はW杯観戦と暑さのため描くことが出来なかったので、2008年

スペイン遠征の作品、とフランスリーグの松井選手を応援に行ったときの作品。

N0・055「ビルバオ市が誇るグッケンハイム美術館」スペイン自慢の巨大な美術館

NO・059「サンティティエンヌ駅(フランス)」カラフルな駅舎と大きな造花。

NO・060「映画博物館」パリから新幹線で約2時間、美しい緑の多いリオンの街

「続々・中メール・NO7」 7月号 

全国制覇・湘南中学サッカー                2010・7・1

 W杯南ア大会は予選リーグを終了し、ベスト16入りした日本チームの健闘を讃えたい。改めて今後の日本サッカーについては書きたいと思う。今回は古い書類を整理していたら、貴重な資料が出て来たので紹介したいと思う。狙いは「腐っても鯛・湘南サッカーを、もう一度全国へ」を願いながらまとめて見たので見て欲しいと思っている。

 それは22年前の平成元年、正月の第67回・全国高校選手権大会出場の時の壮行会が行われた時に、OBの香川嵩氏(22回)が持ってこられた物である。第1回の国体で優勝した時のサッカー部長「香川幹一先生」(嵩氏の父)の書かれた、「湘南中学・蹴球全国制覇の御礼の挨拶」と言う一文である。ガリ版印刷をコピーしたもの。

 大変長い文章なのでところどころ抜粋して紹介したいと思う。(原文のまま)

湘南中学の蹴球が強いといふことは前々から知られてゐましたが、いつも惜しい所で全国制覇を逸してきました。今年は先輩の指導、選手の猛練習、父兄の聲援、すべて具合良くやっと優勝することが出来ました。・・・

 申すまでもなく蹴球といふ運動は地味ではありますが勇壮な運動で、(一)、一致協力して選手各信愛の度を高め(二)自己の責任を重んじ(三)上品にして男らしく(四)優秀な頭脳を要し(五)あらゆる筋肉を均等に発達せしめ(六)多勢の者が一時に競技出来、(七)且つ怪我が少なく(八)天候に支配されない,等数々の利点を持っています。・・・

 そして試合の情景を細かくB4のわら半紙2枚に報告されました・・最後に多くのサッカー協会関係者の方への御礼の言葉が書かれ、其の時の學校長「赤木先生」の詩が載せられました。球を蹴り、球を蹴り、復た球を蹴り、二十六年蹴り復た蹴る、甲子原頭全国を征す、国家再建復た球に似たり。(原文・漢文・少し理解できないところもある)・・・

 この様な文章の後に、湘南中学が東日本代表になるまでの記録、と神戸一中の西日本代表の記録、決勝戦のメンバー等が記された貴重な記録である。昭和21年11月3日・西ノ宮球場・湘南3−2神戸一中・(一回戦からの記録・コピー)

 神奈川県予選代表決定戦・湘南9−0小田原、関東代表決定戦・湘南3−1付属、決勝

湘南2−1真岡、東日本代表決定戦・湘南2−0浦和、決勝・湘南6−0韮崎、代表決定戦・湘南1−0仙台一そして西日本代表と全国大会の決勝戦が行われた戦後の高校サッカーの第一歩が歩み始めた歴史ある大会であった。

 私は昔を懐古しているわけではない。100年も続いている世界に類を見ない伝統の学校スポーツ(高校サッカー)が又見直され、社会体育の代表のJユースと両者が融合しながら「日本サッカー」が見直されなければ日本代表は世界と対等に戦えないと思う。必ずや歴史は繰り返す、湘南が羽ばたく事が日本サッカーの力になることを確信している。

 あまり大きなことを言うつもりは無いが、その資料に載っている両チームのメンバーは、言わずもがな戦後のサッカー界をリードしてきた方が数名居られた。経済界のトップで活躍された方、日立工業(株)、東京海上火災(株)、の副社長、教育界で活躍され、市の教育長など等、そして日本サッカー協会の中心的役割をしてきた方も数名居られた。

 このような実績から湘南高校がサッカー界で活躍する事が、日本のサッカーの発展に繋がる事だと言う理論であり、老骨に鞭打ってグランドに足を運ぶ理由である。そんな事を思っていたら、私の先輩である「三村恪一氏」(元日本代表)が湘南の生徒に「ディフェンスの大原則を教えたい」と言われ、6月は4回もグランドで指導していただく事が出来た。

添付資料 第1回国民体育大会(中学校の部優勝)記録(昭和21年11月3日)

写真  「三村恪一氏 」 指導風景(2010・6・16日・湘南グランド)

鈴木中作品  NO238  新緑・信州の鎌倉・別所温泉・前山寺・3重の塔(重文)

       NO239  新緑・寒川神社・神嶽山(あらたけやま)神苑・下池

「続々・中メール・NO6」 6月号

2010・ワールドカップ雑感                2010・6・1

 いよいよW杯が始まる、1998年フランス・ツールーズで君が代を歌った感激・そして2002年日本開催・横浜国際競技場(現日産・スタジアム)で対ロシア戦の勝利の瞬間、多くの人と手を取り合っての喜び・・そして仙台競技場の試合でトルコに敗れた時の悔し涙・・2006ドイツの町で胸を張って歩いた「鈴木中、W杯観戦ツアー」楽しかった思い出。

 定年退職後このW杯3大会と2000年ユーロ、ベルギー・オランダ共催大会、2004年、ポルトガル、スペイン、共催大会、準決勝2試合観戦、これは凄い試合だった。私のサッカー人生の中でこの経験は何よりも素晴らしい思い出になるだろう。そんな貴重な経験を持ちながら、今回の南アフリカ大会へ足が向かないのは何故だろう?

 先日NHK衛星放送で戦後50年のサッカー界の流れを放映していた。正に私のサッカー人生そのものだった。日本代表のトップ選手ではなかったが、その裏方の指導者として彼ら(長沼・平木・岡野・八重樫)を支えてきたと言う気持ちと、クラマーさんの指導を受けた人間として、今日の日本サッカーの隆盛を喜ぶと同時に、心配をしている一人である。

 2010岡田ジャパンのメンバーが発表になった。予選リーグを勝ちあがるのは不可能と見るのが正解かもしれないが、負けるにしても負け方がある。カメルーン、オランダ、デンマーク、どのチームにも勝てる要素は無いかも知れない。日本人の特性は?私には見当たらない。しかし運動量、イマジネーション、は負けないと言えるチームであって欲しい。

「現役情報]

関東大会予選は代表校が(座間高校・日大藤沢高校)に決まった。湘南に比べワンランク上の力があると思われた。本大会の活躍を期待したい。平行して早速インターハイの一次予選が行われた。いずれの試合も接戦であったが、最後は力負けした。暫くつらい強化の時代が続くかもしれない(結果は別途掲載されているのでご覧下さい。)

試合内容を細かく書けないが、どの試合も固い4人バックを中心としたディフェンス勝負のゲーム運びは毎試合不満の残るゲームだったが、GKにもポカが無く3回戦までは何とか戦ったが、やはり力不足で涙を呑んだ。幸いに補充する新人にタレントが居るので次のステップをどうするか期待して見守って行きたいと思う。

この敗戦は今後の試合へ大きく影響する結果となった。即ち冬の大会の一次予選から延々と試合をすることとなるので、夏のすごし方、1年生の強化等今後に向けて計画的に練習をしなければならないので、これからの充実した練習を見守って行きたい。

「鈴木中・作品」

「横浜国際競技場」何回か描いたが建物が大きすぎてなかなか「F4」には収まらないが(2002W杯記念)10号に描きサッカー協会の事務所に掲げてある。

「231・大岡越前守のお祭り」

茅ヶ崎市では4月17・18日「越前祭り」がおこなわれた。市内を纏を持った男集が練り歩く・・楽しい行事である。

「234・大岡越前守・菩提寺・浄見寺山門」

何回か描いた大岡越前守菩提寺・山門の光と影がテーマだった。

「続々・中メール・NO5」 5月号

           2010・5・1

 Jリーグも開幕、4月のサッカー・シーズンがスタートした。私が直接関係している

「関東社会人リーグ戦」(神奈川教員クラブ)も開幕した。アマチュアサッカーのリーグ戦だが、頂点がJリーグ1部となりピラミット型の下に位置するJリーグ2部⇒JFL(全国社会人リーグ)⇒地域リーグ(関東・関西・・・)9地域1部・2部⇒各県リーグ・1部・2部・・

 プロ、アマチュア・社会人・学生・・・全てがミックスされた日本サッカーの現状だが、私はこの組織のあり方に問題あり、と日頃から思っている。関東リーグ1部に「海上自衛隊、厚木マーカス」と言うチームがある。自衛隊のこのチームもJを目指す目的は無いと思う。同じように2部の教員チームはプロを目指しているわけではない。

 此処でプロとアマチュアの違いをはっきりしておこう。プロのサッカーは飯の種にしたサッカーであるが、それはアマチュアのサッカーとは全くレベルの違う内容の中身で無ければならないと思う。残念ながら日本のプロサッカーはアマチュアとあまり差が無いように思えてならない。これは大変な事だと言える。

 私が趣味として描いている「絵画」の世界はプロとアマチュアの差ははっきりしていると感じる。いくら背伸びしても、道楽で描いている趣味の世界と、プロの世界は全く違うように思う。しかしヨーロッパ、南米・・のプロサッカーは明らかにアマとは違うように思えてならない。日本のプロがアマと大して違いが無いのが現実なのかもしれない。

 このことは実は大変な問題だと思う、原因は沢山あろうがトップのプロのレベルが低いと言うことは、日本代表も世界レベルで無いということになる。先日行われた対セルビアとの代表チームの試合で日本は0−3で完敗を喫した。W杯前の大事な国際試合で無残な負け方だったが、これが現在の日本の現実だと強く感じている。

私が辛口で日本代表をこき下ろしているわけではない。戦後60数年サッカーに関係し、誰よりも日本サッカーに期待し、育てて来た一人として、今回の敗戦がセルビアと日本でこんなに差があるとは・・その差はプロとアマと言う感じだった。試合に臨む選手の心構え、相手チームへの対応の仕方、試合の進め方、大人と子供の差があった。

もう少し具体的に見ると、立ち上がりの先取点の取り方、激しいプレッシャー、2点目、3点目の勝負への執着心、何よりも凄かったのはGKの力の差だ。日本がパスで崩してトップが打ったフリーシュートをすべて防いだGKのレベルの差は歴然としていた。やはり彼らはプロと言えるだろう。それに比べ日本代表は本物のプロと言えるのだろうか?

(現役の報告)

イングランド・スペイン・遠征報告は別途にするが、4月10日から始まった関東大会神奈川予選について少し触れておこう。初戦は対栄光学園0−2湘南の勝利だったが随所に遠征疲れとけが人が多く決して褒められる内容ではなかった。次の日の対海老名高校1−0湘南の試合は数少ない相手シュートが1本決まり、いつか入るだろうと高をくくるっていた相手に0点で守り切られ、足元をすくわれた。応援に来られたOB諸氏(相羽・加納・関・榊原・・・)も湘南らしくない戦い方に、憤慨して帰られた。

敗因は幾つかあるだろうが、負け方に不満が残った。私が強く感じたのはOB諸氏と同じように、湘南らしさの無い、無気力な試合になってしまったのは、海外遠征疲れで、時差ぼけが解消されていない、中心選手が風邪気味で3人も先発出場出来なかった事、試合前の練習で正GKが突然の怪我(上腕脱臼)の救急車騒ぎでスタートなどなどがあったが、何れも言い訳にはならないと思う。新年度最初の公式戦であり、目標は夏の総体であり、最終目標は冬の選手権大会であり、この経験を次に生かして欲しいと思う。

と言っても早く敗れてしまうと、早速次のインターハイ予選が5月の連休から始まる、先ずはこの難局をどう乗り切るか、新3年生は直ぐに引退する選手も出てきてしまう。高校3年間と言っても正味2年と数ヶ月、毎日を大事にして、練習に集中して欲しい。

それから新入生の状況を報告しておきたい。技術の状況は判らないが37名仮入部とか。何時の頃からこの仮入部と言う制度が出来たのか、夏休み前までは正式ではないらしい。私の嫌いな習慣だ。かなり期待できる選手が居るように聞いたが、グランドに出向き、1,2回観た感じでは数名が即戦力としてレギュラーの仲間入りできそうな「珠」が居るようだ。「珠」と書いたのは磨けば光ると言う意味で、色々磨き方があるが自分でも磨ける選手が居るようでこれからもグランドに顔を出すのが楽しみである。

(今月の作品)

1、「スペイン遠征・宿舎・ビルバオ・ゴルリッツ」2004年の作品
 
スペイン・ビルバオで今年の宿泊も前〃回と同じ宿舎だったと報告を受けた。

2、NO226「相模川から丹沢山麓を臨む」
 
相模線・下溝〜相武台下へ相模線沿い散策路から丹沢を望む

3、NO227「冬の県立体育 セ ン タ ー・グリーンハウス・」
 昭和37年東京 オ リ ン ヒ ゚ ッ ク日本代表チームが合宿をした時、色々お手伝いした思い出多い合宿所、神奈川県の古い貴重な建造物を残す運動の対象なっている

ロンドン・ビルバオ遠征 総括

湘南高校サッカー部 コーチ 篠塚 貴志 ( 82回 ) 

今回でスペイン遠征は4回目を迎えました。小林先生赴任後初の遠征で、様々な変化がありました。

まず遠征の内容について簡単に報告します。本遠征は、ロンドン(4日間)、ビルバオ(5日間)の順に移動し、2カ国を目的地とした遠征でした。サッカーについては、ロンドンで3ゲーム、ビルバオで3ゲーム行い、プレミアリーグ(トットナムVSポーツマス)とスペインリーグ(アスレティック・ビルバオVSラシン・サンタンデール)を観戦しました。加えて、対戦相手との交流会がロンドンで3回、ビルバオで2回。そしてロンドン市内でB&Sプログラム(数人ずつのグループで現地の学生と行動する観光プログラム)、ビルバオで学校交流を行いました。もちろん全て英語(もしくはスペイン語?) です。今回の遠征の大きな特徴は、 ? 2カ国で6ゲームを戦い、両国のトップリーグを観戦している点、そして ?「対戦相手と試合後に交流」といったようなコミュニケーションの機会を多く設けた点、ではないかと思います。(湘南高校の試合結果は、別報にて報告させていただきます。)

異なる二つの国でサッカーをすることで、選手たちは何を学んだのでしょうか。私は、「サッカーの原理原則」と「サッカーを楽しむこと」の2点に集約されると思います。イングランドの「ゴールを奪う・ボールを奪う・ゴールを守る」ということを徹底されたサッカーの中では、サッカーの本質(つまり原理原則)を追求し、無駄なく前線へボールを供給します。結果、ゴール前での攻防が多くなっていました。スペインにおいては、どのチームと試合をしても、慌ててボールを触るような選手は一人もいませんでした。幼いころからサッカーを楽しみ、相手と常に駆け引きをしながら成長してきたのでしょう。日本では、「エースストライカーが現れない」と言われていますが、ヨーロッパの若手の選手を見てみると、その理由がわかるような気がします。

 湘南高校の選手の中には、遠征の中で少し変化が見える選手もいました。自分たちよりも体が大きく、力強い動きの相手にどのように対応するのか、ということを考えて試合をしていた選手は、特に変化が大きかったようです。常に相手プレーヤーを意識してサッカーをしてきた選手は、相手が外国の選手でもうまく対応できるのでしょう。そういった選手は、ピッチの中だけではなく、交流会の場でも積極的にコミュニケーションをとります。拙い言葉を使いながら、必死に会話を楽しんでいました。サッカーで通用する選手は、交流でも存在感を示してくれました。改めて、「サッカーはコミュニケーションのスポーツである」ということを感じることができました。

遠征を行うと、選手の私生活の部分も見えてきますが、海外に行くとそれぞれの考え方、生活がよりよく表れます。小林先生は常に選手たちに、試合の中には日常生活が現れる、ということを伝えていましたが、この遠征ではそういった部分もよく理解できたのではないかと思います。

今回の遠征は、サッカー以外の面での付加価値も追求した、小林先生らしい遠征だったと思います。先生自身もスペイン語勉強し、現地の人と積極的に交流し、誰よりもこの遠征を有意義なものにしようとしていました。選手たちも、スペイン人やイギリス人と話す先生の姿を見て触発された部分もあったのではないだろうか、と思います。内容の濃い遠征だったので、集中力に欠ける部分もあったようですが、充実した遠征だったと思います。

このような有意義な遠征を4度も実現することができたことに対し、湘南高校のOB会の力の素晴らしさを改めて感じています。OB会の支援・期待に応えるためにも、この遠征を無駄にせず、湘南高校の目標である全国制覇を果たしたいと思います。選手たちにも、全力でそれを目指してくれることを期待しています。

82回 篠塚貴志

「続々・中メール・NO4」 4月号

           2010・4・1

3月1日冬の オ リ ン ヒ ゚ ッ クが終了した。大会前のアメリカの新聞予想で日本は銀2、銅2、と載っていたが最後に(スケートの女子団体追い抜き)で銀メタルが一つ増えて、おおむね予想どおりに終わった。NHK・と民放が、放映するものだけで、冬の オ リ ン ヒ ゚ ッ クを日本国民が理解する訳で、何か偏ったものになっていると言うのが私の感想である。

ある知人の外国人が、「日本ではフィギアースケートが国技ですか、箒で氷をこすり石を滑らせるカーリングが、そんなに人気があるのですか」と質問されたので、ああそうかTVであれだけ片寄った放映をされるのは困った事だとつくづく思った。真央ちゃんの銀メダル確かに立派だと思うが、賞賛するのも一度で結構、もう少し幅広く放映すべきだろう。

冬季オリンピックが、全世界を網羅しているわけでないので痛し痒しだが、確かに冬の種目は実施されているものが片寄りすぎて、南アメリカ、南アフリカ、東南アジア、中近東、ポルトガル、スペイン、その他暑いお国では殆ど実施されていない現実を見ると、冬の大会はかなり無理が多いので、問題が山積みされた大会だと言えるだろう。

さてサッカーに目を向けるとW杯が近づき、日本代表もメンバー選考で苦労しているようだ。只ベストメンバーで臨んでも、勝てそうな感じがしないのは何故だろう。端的に言えば、点を取る選手がいない、ディフェンスラインが心もとない、不安材料が多過ぎてこれならいけると言う答えが出ないので、今回の南アフリカは見に行かないと言う結論だ。

確かに国外で活躍している選手たちは技術レベルが高いと思うが、世界のトップレベルだとは思えない。何故だろう・・掘り下げてゆけば、速さ、強さ、無理なプレーに欠けていないか?サッカーの原点は上手さではないと思う。上手に出来る事が日本人は確かに優れている、親善試合には向いているが、真剣勝負には通用しないような気がする。

そこで問題になるのが、育ってきた環境と指導方法にあるような気がする。技術という言葉の中にある、正確さ、華麗さ、美しさ、が日本人好みで、とかく子供の頃から、強さ、速さ、激しさ、等のサッカーの原点にある大事なものが教えられないで育ってきているのではないか?もっとそこに目を向けるべきではないかと最近特に強く感じる。

先日湘南の現役が関東社会人リーグ一部の「海自厚木マーカス」の胸を借りたゲームで雨の降る泥んこ試合をあえて実施した。終了後今日は本当に両チームとも収穫ある、良い練習試合だったと感じた。相手チームの総監督・三村恪一氏も同じ感想を述べられた。最近は雨の練習は屋内で、しかし公式試合はまだまだ土のグランドが多いのが現実である。

「現役情報」

湘南0-5厚木マーカス、湘南0-0相洋、湘南0-3神奈川大学B、3月20日筑波定期戦・湘南5-0筑波付属 伝統の一戦の好ゲームを期待したが力の差が有りすぎた。2月に桐光学園に敗れてから高校チームとの対戦で失点をしていないのは、高く評価できる。25日からイングランド・スペイン遠征に出掛けた。事故無く実り多い遠征を期待したい。帰ってから別途、簡単な報告をして貰う予定である。そして4月中旬から始まる関東大会予選を期待したい。(組み合わせはHp「神奈川県高校サッカー」を見て下さい)

「中・ギャラリー・NO4」

久し振りに孫達とスキーに出掛けた。1日滑り後は「お絵描き」と温泉に入り湯三昧、充分休養できた(長野・乗鞍スキー場)

「No222・ログハウス・雪景色」新雪が少し屋根と樹木に積もり、描くのが難しかった

「No223・温泉宿舎・雪景色」上記と同じ日にスケッチ、家にて仕上げ、楽しかった。

「No224・寒川神社・絵馬奉納」狛犬さんの後ろに、厄除けの絵馬が奉納されていた

作品・希望者は連絡下さい 住所・TEL・氏名・作品NO・・ s-cyu@m6.gyao.ne.jp  
葉書の方(253−0052茅ヶ崎市幸町7-5-404  鈴木 中宛

これまでの作品は ギャラリー 鈴木中 をご覧下さい。

「続々・中メール・NO3」 NO3

         2010・3・3

 先月号に「湘南サッカー部90周年記念」について、報告したが、もう少し詳しく私の感想を加えて報告してみたい。それは90年の長きに渡って、それなりに活躍している高校は日本国中見渡しても、そんなに多くは無いはずだ。戦前の一時期、戦後の何年間、名前がでて来るが、戦前、戦後、現在、名前が出てくる公立高校はそう沢山はないだろう。

 戦前の神戸一中=戦後の神戸高校、広島一中=国泰寺高校、浦和中学=浦和高校、志太中学=藤枝東高校、韮崎中学=韮崎高校、等々名前が出て来るが、戦後の帝京、国見、浦和南・最近活躍したサッカーの有名校等々。その中に湘南高校という名前が僅かにでて来るが、長い歴史の中で脈々と続いている輝かしい記録は(特に県立高校で)、日本の高校の中でも胸をはれる記録だと自負している。

 90年の自分達の記録をもう一度眺めてみると、戦前戦後を通じて、関東大会17回出場(旧制中学時代8回・新制高校9回)、優勝3回(戦前2回・戦後1回)国体神奈川代表8回(戦前4回・戦後4回)、優勝、1回、昭和45年以降は神奈川選抜として出場。全国高校選手権大会神奈川代表6回(戦前3回・戦後3回)と長年に渡って顔を出している記録は素晴らしい事だと思う。是非現役が全国へ7回目の出場を期待したい。

(現役情報)

公式戦が全て終わり、来年度に向けて、毎週末練習試合が行われている。1月23日・鶴嶺0−3湘南、30日・逗子0−2湘南、31日・桜ヶ丘0−1湘南、2月6日フロンターレ0−0湘南、11日・慶応藤沢04湘南、13日・山手学院0−0湘南、14日・小田原0−2湘南、何れもAチームの試合結果だが、当然ながら,B,Cチーム、の選手全員も試合を行っている。

対戦相手はそれぞれ各地域ブロックを勝ち抜いてきた代表校で、かなり力のあるチームだったが、失点が7試合で0点は、対戦チームから判断し、贔屓目に見て県内のレベル的にはベスト16〜32位の力があると評価出来るだろう。メンバーとしてディフェンスの中心(羽田、宇喜田、2年)が安定しているので、中盤の選手の進歩と前線の2人が自信を持ってくれば、ワンランク上の良いチームになると期待できるだろう。

そして3月25日〜4月4日、ヨーロッパ遠征が計画されている。今回は「ロンドン・スペイン、ビルバオ」遠征で盛り沢山の計画が組まれている。小林先生は夏休みに下見を行い、コーデネイトの企画会社も過去3回同じ会社で、担当者もベテランなので安心して任せられると思う。既に1,2年選手、保護者に説明会も行い大体準備は整ったようだ。OBからコーチ篠塚氏、応援・(44回生坂部氏)が参加する予定である

「今月の作品」

「NO・218・東京・丸の内・三菱一号館」今月は東京に進出、ビルに挑戦

「NO・217・新橋駅・日比谷口前・機関車とビル群」

「NO・202・横浜・万国橋上から、みなとみらいのビル群」

「NO・219・湘南高校グランド東側から新校舎を見る」

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「続々中メール」(NO2)

                2010・2・2

 正月の報告からしよう。元旦に初日の出、天気に恵まれ素晴らしいご来光を見ることが出来た。江ノ島を見ながら、サーファーの若い力を吸収しながら、やはり健康第一を祈った(ボケないで夫婦二人揃って元気なこと)。そして日本サッカーがアフリカで一勝する事を願った。天皇杯決勝、ガンバ大阪のチーム力と遠藤選手の上手さと力の差を感じた。

    「元旦・初日の出・茅ヶ崎海岸から江ノ島を望む」

そして正月恒例の大学箱根駅伝は年々規模が拡大され、マスコミが取材しやすい大会で20校に絞り熱戦が繰り広げられた。往復走るコースが家に近い茅ヶ崎海岸通りのため、孫たちも加わりにぎやかな応援となった。東洋大学が見事な優勝を飾ったが、こちらも力をつけた新興大学が顔を出してくる。伝統校も力を維持するのは大変のようだ。

 あまりマスコミには大きく載らなかったが全国大学サッカー選手権大会決勝戦が3日に行われた。関東代表明治大学2−1九州代表福岡大学の試合があった。この大会は伝統ある大会で、昔は関東・関西ばかりの大会だったが、最近は地方勢も力をつけてきて、全国何処の大学も良い試合をするようになってきたことは喜ぶべき事だろう。私も2回この大会で優勝した遠い昔の思い出がある。

 2日からは高校サッカー。例年と違う等々力会場、武相高校の初出場、やはり力負けしてしまった。今年の傾向、中高一貫校(6年計画のチーム作り)の宮崎の日章学園に4−2で敗れてしまった。もう昔の地域差などは一つもない。Jユースとの関係や フ ゚ リ ン スリーグとの関連などなど色々な要素の重なりで、何処が勝つかわからない状態の中で大会が行われた。

 関東から初出場の山梨学院高校、東北の青森山田高,の決勝戦は見ごたえのある戦いだった。ベスト4のどの学校が勝っても初優勝と言う準決勝戦を勝ち上がった両校は、成人の日との重なりで4万の大観衆を楽しませてくれた。試合内容は山梨の出足が鋭く1−0で優勝したが、両校ともレベルの高い技術があり素晴らしい決勝戦だった。

(現役報告)[新人戦中央大会]

 1月16日(土)の新人戦・県大会は1回戦、相手のホームGで、県下NO1の対桐光学園の試合が行われた。慣れないグランドに足を滑らせ、明らかに実力差があり0-7で完敗だったが、今年のチーム力を占う格好の試合となった。プリンスリーグで活躍するこのような格上の相手と試合をする機会がこれからも無いと思うので、参考になるゲームになり、今後に生かさなければならないと思った。今年のスタートとして新チームの成長を楽しみに、暖かく見守って行きたい。(応援に川井校長・41回相羽君・48回関君・他多数の保護者の方)有り難う御座いました。

 (湘南高校90周年・記念祝賀会)

他にも正式な報告があると思うが、昼間は何試合か仲間同士の試合を行い、夜は藤沢市内で記念パーティーが行われた。参加者100数十名、古くは18回生の早川さん他10数名の古いOBの方々の参加があり、90年の重みのある会で盛会であった。次の100周年に向けて大きな期待をしたいと思う・・現役の川井学校長も参加され、サッカー部への理解ある祝辞を頂き大変楽しい祝賀会であった。(企画運営・幹事・ご苦労様)

作品・NO・214・千葉県・市原臨海競技場・高校サッカー会場(暮れに遠征)

NO・203・小田原城・裏門・常盤木門

NO・212・三島神社前(神の池・ちのいけ)社(厳島神社)(寒中見舞い使用)

作品・希望者は連絡下さい 住所・TEL・氏名・作品NO・・ s-cyu@m6.gyao.ne.jp  
葉書の方(253−0052茅ヶ崎市幸町7-5-404  鈴木 中宛

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「続、続、中メール&ギャラリー」(NO1)

          2010・1・1

「あけましてオメデトウ御座います」この紙面をお借りして新年のご挨拶とします。

併せて「湘南サッカー部・90周年・オメデトウ御座います」「中メール50回」「続・中メール50回」を終えて、続いて表題のように「文章・絵画」と欲張った「続・々・中メール」として再出発することになりました。宜しく御願い致します。

 先ずは1月10日に行われる「90周年記念祝賀会」の盛会をお祈りします。

「記念誌・会報」を読ませていただき,古いOBの「湘南への想いとパワー」に感心すると同時に深く敬意を表したいと思います。過去の輝かしい記録は正確に整理して今後の現役の活動のために生かさなければいけないと思います。

 私が湘南に赴任して最初に教えた37回・牧村君の秋田国体・西ノ宮の全国大会の思い出。住金に行った、42回・関口君の「鹿島アントラーズ」創設の苦労話。慶応大学の総監督として現在もチーム作りの41回・福井君の頑張り。親子で湘南のグランドで汗をかいた、46回・榊原君(旧姓阿部)54回・篠塚君・・みんな素晴らしい話でした。未だ何人か書き落としてしまった方も居るようです(お許し下さい)。

 特に直接担当してきた幹事の、相羽(41回)浅倉(45回)関(48回)君、他の幹事の方には感謝とその努力に深く御礼申し上げます。そして次の100周年に向けて宜しくお願いしたいと思います。(後10年、私も一緒に頑張るつもりです)。そこで何よりも大事な事は「現役の活躍」です。グランドで応援する機会が多くなることを祈りたいと思います。

 (現役情報)

 冬休みに入り例年のように、かなりハードな練習試合を消化して強化を計って来た。
12月25日にバスで、千葉県の市原へ出掛け地元の京葉高校に5−0で勝ち、東京の堀越学園に2−0で勝利を収め自信をつけて日帰り遠征を行った。26日は逗葉高校招待試合で逗葉高校、山梨の北杜高校に敗れ、成果はあったようだ。その後湘南グランドで27日〜29日までフェスティバル6試合を重ね、2009年を締めくくった。

 色々テーマはあったと思うが、新チームは着々と作られている。才能のある3年生を送り出し、心配された次の年代のチームもそれなりに指導・強化され、小林先生の特色が出た、期待の持てる新しいチームが出来つつあるので今年も楽しくグランドに顔を出せると思う。OB諸氏も是非グランドに顔を出して下さい。若手OBトトカルチョは現役に胸を貸して欲しい。1月10日は多くのOB諸氏の参加をお願いしたい。

添付写真 千葉県・市原臨海グランド・新チーム・A候補・前列1年・後列2年

 さて今回から「文章+絵画・作品(3〜5)」としたのは、絵画(水彩画)を石の上にも3年、(約200作)描いてきて、少し上手くなったと,OB諸兄に煽てられ、譲って欲しいと言う話もあるので、その方向で掲載する事にしました。月に3〜5点発表する事になりましたので、宜しくご笑覧下さい。

 今月は正月につき、幾つか神社を載せてみました。暮れに描きに行った「三島神社」が何点かありますが、大変印象的でした。(三島か三嶋か?)神主さんに説明を受けましたが、古くは(嶋)を使い「明治・大正・昭和の初期は(島)」になり、現在は正面大鳥居の横の石塔には大きく「三嶋神社」と書かれていました。

 正月のサッカーは「天皇杯」と「高校サッカー」であるが、「天皇杯」についてはマスコミが大きく取り上げているので此処では高校サッカーを考えたい。全ての結果が出るのは11日の決勝戦であるが、予ねてから大会運営についての問題点は、48チームのトーナメント方式であり、そろそろ考えても良い時期に来ているのではと思い、提言してみたい。

 以前にも書いたことがあるが、48代表の ト ー ナ メ ン トは不公平が生ずる、W杯でも予選リーグと16チームの決勝トーナメント方式である。12月の冬休みに予選リーグ戦を行い、正月は16チームの決勝トーナメントなら開催不可能ではないと思う。色々な問題点があるのは百も承知で言っている。過去に関西から首都圏に移してきた時に関係してきた一人として、あれから40年、そろそろ考えてみたらどうだろう・・・

 今回は初出場の「武相高校」に期待している。組み合わせから地元「等々力競技場」での2,3、回戦は勝ち上がり、ベスト8は可能だと、「大友監督」には話をしたが、彼はそれなりのものを持った良い指導者であり、期待して見て行きたいと思っている。

 これからこのメールは、毎月・1日に掲載発表予定だが、本来アマチュアサッカー、特に高校、大学を中心に書いて行きたいと思っている。そして今年はワールドカップの年であり、この祭りも大会が終わるまでは楽しみである。今回は1勝出来るか?私は次のブラジル大会への準備を期待している一人である。6月まで話題は尽きないだろう・・・

作品・希望者は連絡下さい 住所・TEL・氏名・作品NO・・ s-cyu@m6.gyao.ne.jp  

葉書の方(253−0052茅ヶ崎市幸町7-5-404  鈴木 中宛

今回の作品について、湘南高校のグランドから見た景色がOB諸氏に人気があり、追加して描いて見ました。そして11月〜12月にかけて描いた日本の秋の景色を掲載しました。海外から日本の風景画を希望する声もあったので、期待に添えるかどうか?そしてお正月用の神社を載せてみました。そして年賀葉書用の作品も載せました。

1.鈴木中・作品・水彩・
(NO208・グランドから見た、湘南高校)F4(23×33)(額・四つ切り37×45)

2.日本の秋・(NO205・芦ノ湖・湖畔・桃源台・遊歩道)F4・〃

3.茅ヶ崎・鶴嶺神社・(NO172・一の鳥居)F4・〃

4.三島神社・(NO210・御神木・樹齢600年けやき)F4・〃

これまでの作品は ギャラリー 鈴木中 をご覧下さい。

5.倉岡先生年賀状用作品(広島水上警察所)